瀬織津姫に会える神社とアラハバキ神社・古代神を祀る宮城・岩出山

宮城県の北部に位置する大崎市岩出山、仙台藩初代藩主 伊達政宗公ゆかりの地に、古代神を祀る神社が御鎮座しています。謎の姫神、瀬織津姫を祀る神社、荒雄川神社。また同地区には、田んぼの真ん中に謎の古代神 アラハバキ神が祀られている神社が鎮座しています。古代から、人の営みが見られる大崎地区に、現在も信仰されている古代神の謎に迫ってみたいと思います。

瀬織津姫に会える神社!荒雄川神社 宮城は、古代信仰の中心地?!

 

宮城県北部、大崎市岩出山という歴史ある地域に、【瀬織津姫】(セオリツヒメ)を主祭神としてお祀りされている式内社があります。

 

皆様も、【瀬織津姫】と言われる神のお名前だけは、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

私も、以前ブログで、紹介させていただきましたが、神話には記載されていないが、祝詞には記載されており、謎の女神、隠された神として知られていますよね。

人気のある神様で、多くのスピリチュアリストが、記事を上げられていたり、書籍を出されていたりする、女性神ですよね。

 

岩出山という地域は、

初代 仙台藩藩主 伊達政宗公が、仙台開府前の12年に渡り居城にしていた、岩出山城という、お城がある地区です。

岩出山城や大崎市の詳細は、割愛いたしますが、秀吉公の奥州仕置機により、政宗公が所領した地域で、政宗公以前は、大崎氏の所領であった様です。

 

宮城県で、

瀬織津姫に出会える神社!として有名な神社も、この大崎市岩出山に御鎮座されています。

その神社は、

大崎市岩出山池月に御鎮座なさいます、荒雄川神社】 (あらおがわじんじゃ)です。

 

この、荒雄川神社が鎮座なさいます、岩出山池月地区も、古代から人々の営みが見られる地域で、

荒雄川神社の境内には、「荒雄川神社遺跡」と言われる、縄文時代の祭祀遺跡と考えられる遺跡が存在するため、

私は、古代縄文時代から、この辺一帯の信仰の中心地であったと考えてしまいます・・・・

そして、縄文の神といえば・・・・

 

古代東北地方で祀られていた神として、当然、瀬織津姫が祀られてても不思議ではないですよね!

何せ、瀬織津姫と、

その夫君であらせられる神と共に、東北に所縁がおありだったのですから・・・

 

瀬織津姫に会える神社 荒雄川神社 宮城は、岩出山と鬼首に?

 

宮城県大崎市岩出山池月に御鎮座なさいます、荒雄川神社】。

私は、荒雄川神社の鎮座地周辺を古代縄文時代から信仰の中心地であったかと思っているのですが、

その古代信仰の中心地にも、大和の支配が及んで来て、律令国家が東北にも形成されてきた頃、その信仰の中心地に、社が建ち「神社」という形ができ、その神社に、土着の信仰神と、大和の神も共に祀られる様になったのではと考えております。

 

なぜなら、荒雄川神社の創建は、奈良時代。

史実でも、

陸奥国府であったと思われる、仙台郡山遺跡が、霊亀2年 716年に完成されており、

その時に、移民により、黒川以北十郡

(黒川・加美・色麻・富田・玉造・志他・長岡・新田・小田・牡鹿)が成立となっており、

その後、神亀元年 西暦724年に、国府が、多賀城国府へ移されていきます。

 

霊亀2年 716年に、大和と同じ、律令国家を東北みも形成するにあたり、

土着の人が住む土地に、兵士や、為政者を住まわせる、移民政策がとられたわけですね。

 

十群を定めた中の一つ、「玉造」地区は、

荒雄川神社のある、大崎市岩出山や、鳴子温泉地区など、大崎市の一部などが含まれている地区のです。

 

荒雄川神社の御由緒書きには、

由緒書によると、養老4年(720年)に創建されたという。玉造郡に鎮座する式内社三座のうちの一つである。鳴子温泉郷の鬼首温泉に鎮座する荒雄川神社と対になっており、岩出山池月の荒雄川神社は「里宮(里の宮)」、鬼首温泉の荒雄川神社は「嶽宮(奥の宮)」と呼ばれており、奉斎する宮司社家もそれぞれ別である。

Wikipedia 荒雄川神社より

との記載があります。

 

文章の最後の方に、

大崎市鳴子温泉郷の鬼首温泉(おにこうべ おんせん)にも、

荒雄川神社が奥宮として、御鎮座されていることが記載されており、

同地区の式内社3つの内、2つが、荒雄川神社なのですね。

 

私は、里の宮、奥宮、それぞれに主祭神が異なっているのも、とても不思議に思っているのです。

 

里の宮は、須佐雄尊・瀬織津姫を、

奥宮は、大物忌神を、主祭神として祀っております。

 

大物忌神は、

土着の神で、山形と秋田にまたがる、鳥海山をご神体とする火山の神なのです。

 

鬼首温泉は、山形県と隣接しており、古代から、人々の交流もあったはずですし、

今も間欠泉が吹き上がり、地熱発電所もある地区ですから、

古代から、火山の神を感じていた事でしょうし、雪深い地区、寒冷地で住む人にとっては、火山活動で、地熱が暖められることのありがたさを肌で感じているはずなのです。

氷河期を過ごした人間のD N Aには、火山神を祀る事なとても自然あことですから、大物忌神を祀るのを自然に受け入れられたことなのだと感じます。

 

一方、

里の宮 瀬織津姫は、祓い戸の神。

人々が犯した罪穢れを、祓い清め、罪穢れを川に流し浄化させます。

 

瀬織津姫も、大物忌神も、どちらも、東北にまつわる神。

まるで、別々の神が、荒雄川(現 江合川)で結ばれれたラインに、神社が建立されて

互いに、裏表関係、陰陽関係のような役割を持ち、バランスをとるように祀られているかの様に感じますよね。

 

瀬織津姫に会えると評判の神社 荒雄川神社、

気になる方は、両方の宮をご参拝してみてくださいませ。

 

アラハバキを祀るスピリチュアル神社 宮城 岩出山

縄文の神と言われる、アラハバキ神(荒脛巾神)。

 

宮城県の北部に位置する大崎市岩出山にも、

長い、長い年月、地元の人たちに大切に守られて、信仰されている神、

アラハバキが祀られております。

 

田んぼの真ん中に、ポツンと、

小高い丘のような場所に、御神木と共に小さな社があります。

 

私も、以前から、あそこにある社は、なんだろう?と、気にかけておりましたので、機会を見つけて参拝させていただいた事がございます。

私が参拝させていただいた時は、参道と言いますか、畦の様な道の入り口近くに、大きな看板が建てられ、

アラハバキ神社の御祭神お説明や、由来なども書かれておりました。

 

 

その看板に書かれていた内容を、私なりに要約させていただきまして書き込ませて頂きます。

 

●アラハバキの神は、天・地・水の三神から生まれた神である。

●自然信仰の神として、二千年の間鎮座する産土神である。

●古代先住民、アラハバキ族の祖神、守護神である

●アラハバキを祀る場所は、古代東北、関東に600余社あった

●衣川 安倍氏は、アラハバキ族の末裔と言われている

●前九年の役・後三年の役で、源氏に敗れたことにより、アラハバキ神は、改神されたり、大和の神と合祀されたりする憂き目にあって、現在、アラハバキを祀る社は、数社となってしまった。

●祭祀年は、定かではないが、アラハバキ族の王城を、西暦前は、米山町朝来(あさご)、西暦後に、多賀城、古川市宮川に移したと言われていることから、いずれかの年にこの地(岩出山)に、アラハバキ族が移り住み、祀ったものだと思われる。

●霊験は、水イボの神、目耳鼻の神、諸願成就の神として、2,000年間鎮座している神

お宮前の看板の文言 要約記載

 

看板は、口語体で説明書きされており、字も薄くなっており、分かりにくい内容だったため、私なりに要約して、書き記してみました。

看板の文言にない言葉も補足として足しました。

 

アラハバキの神が、祀られた経緯、どのような神様か、何時ごろ祀られたのか、おおよその内容が理解できるかと思います。

事実は、謎に包まれていますが・・・

言い伝え、伝承は、必ずしも嘘!というわけではありませんよね〜、

訳あって真実をぼかす必要があったり・・、真実が隠されていますよね。

 

私は、この看板の記載は、ざっくりした意味では、正しいのではないでしょうか?!と、思っています。

アラハバキ神はスピリチュアル!御神体?石の祠と、穴あき石!

岩出山、アラハバキ神社の後面には、石の祠と、石碑があるのです。

 

一つは、

鉄製の鳥居に、石の祠、周りに穴の空いた小石が沢山置いてある、という不思議な祠なのです・・・

 

私は、この祠が、本来のアラハバキ神社、元宮なのかと思いました。

なぜなら、石の祠の前にある、アラハバキ神社のお社は木製で、多く見積もっても100年も経っていないお社だと思うのです。

それ以前は、石の祠の神社だったのではないでしょうか?石の祠の上に、木製の屋根などをかけた神社だったのでは?

また、石の祠を作られる前は、岩石、いわゆる磐座を祀っていたのではないでしょうか?と、推測してしまいます。

 

そして、その石の祠の周りには、穴の開いた小石が沢山置いてあるのです。

 

とても不思議な光景ですよね・・・

私は、これは、所願成就のお礼参りの際に、祀られた穴あき石だと思います。

全国に、所々この穴あき石が見られまして、所願成就のお礼に、穴の開いた小石を祀る、古い習慣があった様に考えられます。

特によく見られるのが、薬師如来様。

眼病の平癒祈願がかなった時に、御礼参りに穴あき石を奉納する習慣があったと考えられます。

 

穴が開いた小石は、目を象徴したのではないでしょうか?

①神が、代わりの目をくれたので、目が治った

②なので、神様の目が無くなったはず・・・

③それでは、神様が困るだろうから、穴あき小石を奉納して、なくなった神様の目となる様に祈ったのではないでしょうか・・・??

こちらは、私の勝手な妄想に過ぎませんが・・・

そういえば、

アラハバキ神社の参道前の看板にも、目耳鼻の神と記載されたいますよね。

理由はともかく、穴あき小石を奉納しているのは事実です!

 

この風習は、古く縄文の世からつづく風習ではないのかな?

仏教が入っってきた時代にもその風習が残り、

目の仏様、薬師如来様にも受け継がれたのではないでしょうか?

 

などと、私の妄想が止む事がないのです・・

アラハバキ神はスピリチュアル!三吉神社の石碑とお稲荷さんの祠

 

アラハバキ神社の本宮?と思われる、石の祠に並んで、

三吉神社と書かれた、石碑とお稲荷さんの祠が祀られてございます。

 

いつの時代に、祀られたものなのか?わからないのですが・・・

 

お稲荷さんは、その名前から「稲がなる」ゆえに、稲荷とも言われます。

そして、お稲荷さんの御祭神は、稲魂の神(宇迦之御魂神)「うかのみたまの神」ですから、

食物神ですよね。

 

なので、後の世に、お稲荷さんが、田圃に祀られているのも自然な流れとしてあり得ますし、不思議ではないですよね。

 

謎なのが、三吉神社ではないでしょか?

三吉神社は、秋田県、大平山三吉神社の神を祀られたのだと思います。

 

なぜでしょうね??・・・・

 

三吉神社は、三吉霊神(みよしのおおかみ)が御祭神で、

三吉霊神とは、三吉神社特有の神で、いわゆる土着の神、古くからの東北の神ですよね。

 

私は、岩出山のアラハバキ神社に、

三吉神社石碑が祀られた経緯を、勝手な推測をさせて頂きますと、

 

太平山三吉神社は

縄文などの古代から、神が降臨する、御神体として神聖な山であり古代信仰が起きていたと考えられます。

その信仰の対象が、現在、三吉霊神と言われている神だったのでしょう。

 

白鳳2年(私年号)西暦646年、役の行者の創建と伝わっておりますので、約1300年前には、

全国的にも、聖地として認識された訳ですよね。

 

そこで、信仰の山、三吉山に、古代信仰と山岳信仰が混ざりながら、三好信仰の修験が盛んになったと考えられます。

 

そして、一方、岩出山、(現大崎市で、玉造郡と言われる場所は)地理的無背景に、山形、秋田の県境に隣接しております。

 

 

実は、この県境には、

仙台市から、秋田県湯沢市まで通り抜ける事ができる街道(現 国道108号線)が通っております。

 

108号線は、山深い街道なのですが、

仙台・湯沢間を、高速を使わず、車で約二時間半でいく事ができ、とても利便性がある街道なので、現在も、多くの人が利用しています。

また、平安時代、この山深い街道沿いに城があり、

前九年の役で戦場になっていますので、街道としては古くから使用されている事が確認できます。

街道があれば、人々の交流が生まれ、土着の信仰も、周辺地区、その周りの地区、またその周りの地区へと伝播していきますよね。

 

岩出山で、2000年前から信仰されていた、アラハバキ神の信仰の聖地にも、いつの時代でしょうか?

秋田太平山の三吉霊神が伝わり、

うちのアラハバキ神もすごいけど、三吉の神も凄いね!となり、

同じ古代東北の神同士と言うこともあり、合祀されたのではないかと、推測します。

鬼首 荒雄山神社の大物忌神も、同じ様な経緯ではないでしょうか?

縄文時代から続く民は、戦う事をしない民、神と共に生きた民です。

信仰も、神も、お互いに尊重しあって、仲良く合祀されていったのでしょうね。

 

やはり、古代縄文から続く、東北の地は、

歴史を紐解くと、信仰と繋がっている事を再確認される、スピリチュアルパワースポットですよね。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

安陽都奈(あひつな)

コメント

タイトルとURLをコピーしました