陸奥国分寺 薬師堂 パワースポット仙台の薬師堂と准胝観音堂

仙台で、薬師如来のパワースポットとして知られる、陸奥国分寺の薬師如来堂。聖武天皇の勅願により建立された最北の国分寺。伊達政宗公の願いにより再興された陸奥国分寺薬師堂は、国の重要文化財指定され秘仏薬師如来が安置された薬師堂。歴史ある寺院には、現在も多くの人が参拝に訪れるパワースポット寺院となったわけとは?

 

仙台市若林区、地下鉄薬師堂駅西に隣接する【陸奥国分寺】(むつこくぶんじ)

 

正式名称は、

【護國山 醫王院 陸奥国分寺】(ごこくざん いおういん むつこくぶんじ)

天平13年 西暦741年 聖武天皇の勅願により、全国に建立された国分寺の中で、

最北に置かれた国分寺です。

 

私も、よく参拝させて頂く場所で、ご近所さんのお散歩や、子供さんも遊びに訪れるほど、土地の気もよく、とても大好きな場所なのです。

昔から、参拝のたびに、敷地も広いので、昔は、とても立派な寺院だったろうと想像していました。

平成29年にできたガイダンス施設で、創建当時の資料などを見るのも好きで、史実を見ながら、よくこんなもの立てたなあ〜と、ひとり感動しておりました。

 

なぜなら、

建立当時は、とても大きく、立派な寺院で、

築地塀で囲まれており、南大門,中門,金堂,講堂,僧坊が並び,中門と金堂は回廊で結ばれ,

鐘楼,経楼,そして、なんと七重塔があり、

盛期には300坊が軒を連ねる大きな伽藍だったようです!

 

聖武天皇は、鎮護国家思想に基づき国を守るため、全国に国分寺を建立の詔を発せられました。

その8世紀の東北の地に、

とても大きく、瓦葺きで、朱塗りの伽藍を建てたら、大和朝廷の権威を示すにも十分すぎます。

大きな建物、立派な建物、高い建物、豪華絢爛な建物で権威を示すことは、洋の東西を問わず、行われていましたから、

やはり当時の人は皆、その大きさ、高さ、立派さに驚いたと想像できます。

 

ちなみに、

このころ、

聖武天皇は、東大寺の大仏像立を進めていました。

大仏像の最後の仕上げのために、鍍金したいと願ったのですが、その黄金が集まらなく、とても困っていたようです。

 

そんな窮地に立たされた、

聖武天皇の大仏建立に、救いの手が差し伸べられます。

時は、天平21年、西暦749年

なんと!この地、現在の宮城県より、

沢山の黄金が、聖武天皇のもとへ献上されたのです。

 

なので、奈良の大仏さんは、

造立当時、金ピカ、黄金の仏像っダたのですよ!

しかも、宮城の地で産出した黄金で!

大仏開眼は、東北の金によって成し得た国家事業だったのです。

 

奈良の大仏がある、東大寺は、もちろん、国分寺です!

当時、金ピカの大仏さん、とても驚いたでしょうね・・・今見ても、驚くと思います。

 

そして、余談ですが・・・・

 

実は、当時の東北は金の産出が多く

海外にまで有名になった、黄金の国ジパングとは、

東北の蝦夷の住まう国、日高見国、この東北地方の国のことなのですよ!

 

陸奥国分寺 薬師堂 パワースポット仙台の薬師如来と伊達政宗公

 

鎮護国家のため、

全国に国分寺を建立の詔を発せられました、聖武天皇。

 

その、詔により、

建立された国分寺の中で、最北の国分寺、陸奥国分寺は、仙台の地に建立されました。

 

私も、資料を見て知るのですが、

北の陸奥国分寺は、東北の地で大きく花を咲かせて、最盛期に300坊の軒を連ねたようで、とても大きな勢力を持った寺院だたようです。

でも実は、

数々の災難に見舞われながら、現在に至ったことを知りました。

 

貞観11年 西暦896年、

陸奥国東方沖を震源地、マグニチュード8•3以上と推測される大地震が発生。

平成の御代に起きた、

東日本大震災が、マグニチュード9•0ですから、それよりは、やや小さかったとはいえ、ほぼ同じ規模の地震ですよね・・・

三陸沖には、昔から、周期的に大地震が起こるようで、貞観地震も、その周期的に起きる、三陸沖大地震の一つだったと言われております。

 

地震の38年後、

承平4年 西暦934年 七重の塔に落雷による火災で焼失。

また、

文治5年 西暦1189年、戦火により、焼失したとの言い伝えがあります。

文治5年は、鎌倉政権が、奥州に攻めてきて、奥州藤原氏勢と源氏勢とが戦になった、

いわゆる、 奥州合戦です。

鎌倉方では、奥州征伐(おうしゅう せいばつ)と言っております。

 

そんな、数々の災難を受け、時代と共に衰退してしまった、陸奥国分寺は、

そのまま衰退するかと思われますが・・・

 

慶長12年 西暦1607年

仙台藩初代藩主 伊達政宗公により、めでたく、再興されたのです。

 

陸奥国分寺の再興は、神仏を大切になさる政宗公らしいことなのですが、

実は、この再興に関しても不思議な逸話が残っておりますので

紹介させて頂きますね!

 

陸奥国分寺再興の14年前、 文禄2年 西暦1593年、文禄の役。

 

 

私見ではありますが、文禄の役は、朝鮮征伐、朝鮮出兵という言葉で知られますよね・・・

でも、実際は、

よく史実を見ると、秀吉の戦は、朝鮮ではなく、明との戦なのですよね。

 

ただ、明に戦に行くための道を通さないと!言った、朝鮮半島の各国と衝突し、戦になったのです。

秀吉公が征伐しようとしたのは、あくまでも【明】であり、朝鮮半島の国ではないのです!!

背後には、明を狙ったイスパニアがあり、日本を守るために、

明を抑えようとした秀吉公は、ハナから朝鮮は眼中になかったはずなのです!

と、私は、思っています。

 

話は戻り、

 

豊臣秀吉公より、朝鮮半島へ向けて(明に行くための)出兵の命を受けた、政宗公

軍船を出港させようとされた時に、陸奥国分寺の僧侶を名乗る人物が、乗船を申し出てきたそうです。

政宗公は、航海の無事を祈願してくれることを条件に、乗船を受け入れたようです。

 

不思議なことに、

政宗公が、帰国の際にも、その僧侶が現れ、共に船に乗り、無事に帰国されたと言われております。

 

その後、

政宗公が、陸奥国分寺を訪れた際に、その僧侶のことを尋ねたところ、そんな僧侶はいなかったそうです。

 

政宗公は、その僧侶は、薬師如来の化身であったとのでは・・?

と、お考になられます。

往復の航海が無事でったのは、

この薬師如来さまの化身が共に乗船してくれたお陰である、

出兵や、航海の守護をしてくださったことに感謝された、政宗公は、

陸奥国分寺を再興し、薬師堂を建立し、薬師如来を祀った。

という、お話が残っております。

 

私たちは、

今となっては、このお話の真実を知ることはできないのですが・・・

戦国の世を生き残り、仙台藩を築き、長寿を全うされた、政宗公。

神仏の加護無く、戦国の世を生きてこられたとは思えませんので、

私は、このお話は、妙に、納得できると感じてしまいました。

 

陸奥国分寺の薬師堂は、仙台藩主 政宗公が再興!国の重要文化財に

 

陸奥国分寺には、前記した通り

仙台藩 初代藩主 伊達政宗公により、再興された、薬師如来を祀る【薬師堂】があります。

 

作事奉行は新野宮内左衛門元茂と白石縫殿助玄佐、鍛冶は島田惣八郎宗次、大工は和泉国比根(日根か)に住む駿河守宗次、頭領は利右衛門宗吉と三右衛門家次であった。その年の10月24日、関係者の参列を得て、学頭坊の宥海、別当坊の実永、院主坊の宥養が新しい薬師堂と白山神社の建物に神仏を移した。

Wikipedia 陸奥国分寺 より

 

私は、この再興に関しても、

政宗公は、とても強い思いで望まれたことであったと推測いたします。

なぜなら、

腕利きの棟梁が、3年をかけて再興、桃山建築様式で、本瓦葺き。

現在、仙台に残る本瓦葺きで最古の建物のようです。

 

薬師堂は、現在もなお、見る者を感動させる、立派な建物なのです。

当然、現在は、国の重要文化財の指定をうけています。

 

そして、政宗公が再興された薬師堂は、当時から、地元の人にとって、馴染みの深いものになっていきます。

現在のわたしたちも、地元の人は、お薬師さん、薬師堂 という言い方が馴染みがありますね!

当時の人々も、薬師堂再興を喜び、親しみのある呼び名、「お薬師さん」と読んでいたようです。

そして、現在、

陸奥国分寺最寄りの仙台地下鉄 東西線駅名は、

ズバリ 「薬師堂駅」という駅名。

今も、昔も、皆さん、国分寺ではなく、「お薬師さん・薬師堂」

そのように読んでいたのだとおもいます。

 

陸奥国分寺 薬師堂 仙台パワースポットの准胝観音堂は、仙台三十三観音札所

陸奥国分寺には、

【准胝観音堂】(じゅんてい かんのんどう)があります。

 

准胝観音(じゅんてい かんのん)さま?

って、あんまり知られていないかも知れませんよね・・・・

私は、大好きで、大切な仏様として、信仰しておりますので、時間を見つけては、准胝観音堂に参拝させていただいておりました。

 

ご存知の方は、准胝観音菩薩・准胝観世音菩薩としての呼び名で知られていますが、

そのほかにも、周波によっては、准胝仏母として知られています。

有名な言い伝えでは、

弘法大師 空海さんが、信仰されていたようで、准胝観音堂を建立し、お弟子さんたちの得度(僧侶になるための出家儀式)のご本尊にしていたようです。

 

 

陸奥国分寺の、准胝観音堂は、伊達家の建立のようです。

仙台藩 初代藩主政宗公が国分寺を再興させた年より、

時を経ること138年後、

延享2年 西暦1745年仙台藩 六代藩主伊達宗村公によりに建立されたとされております。

 

六代藩主 吉村公の母君である、仙台藩 五代藩主伊達吉村公の御正室、長松院さまにより

准胝観音が寄付されたことを受けて,お堂の建立をされたようです。

 

私も、よく、参拝させていただくのですが、

朱塗りで、本瓦ぶきの綺麗なお堂で、なんとなく、女性性を感じるお堂ですよ。

 

陸奥国分寺での准胝観音さまは、

延命,厄除け、五穀成就・子宝・安産の御利益があるとして信仰されています。

 

現在、薬師堂修復のため、薬師堂のご祈祷も、この准胝観音堂で執り行われているようですよ。

 

お堂は、仙台市の登録文化財に指定されており、仙台三十三観音の二十五番札所になっており、

現在も、観音詣りのご参拝が絶えることなく、参拝客が多く訪れるお堂ですよ。

 

陸奥国分寺 薬師堂 仙台のお薬師さんの手づくり市と火渡り式!

 

陸奥国分寺には、人気のイベントがいくつかあります。

縁日の8日、大護摩祈祷が執り行われる日には、【お薬師さんの手づくり市】が開催されます!

【お薬師さんの手づくり市】は、

「手づくりのもので、誰かとつながる」というコンセプトで行われており、出店側は、審査はありますが、プロ・アマ問わず、自分で材料を仕入れして育てたもの、加工したものに限り、出展ができる様です。

 

私は、出展したことはないのですが、

知り合いが出展したこともあり、お祭り感覚で、楽しみに、手づくり市に行くことがあります。

多い時は、100を超えるブースが並ぶようで行ってみると、本当にたくさんの買物客が、すごい楽しい雰囲気、ワクワク感溢れて、賑わいますよ。

 

天候に関わらず、執り行われていた名物市も、コロナ禍で、一時中止されていましたが、現在は、再開しています。

皆さんも、ぜひ足を運んで、名物市の【お薬師さんの手づくり市】を、盛り上げてくださいませ。

 

 

また、陸奥国分寺では、

年に一度、ご本尊のご開帳と、通称 火渡り式と言われるご法要が執り行われます。

多くの人が、待ち望む、ご法要、ご開帳法要で、それきっかけで、参拝される方もいらっしゃいますので、

陸奥国分寺さんのHPを抜粋して、紹介させていただきますね。

ご本尊御開帳法要
毎年2月11日(建国記念日・祝日)陸奥国分寺最古の密儀「七日堂修正会」において、薬師堂のご本尊・秘仏「薬師如来さま」御開帳の法要が行われます。
柴燈大護摩供・火渡り式
続く「柴燈大護摩祈祷」では、みなさまより願いを込めて奉納された10,000本余りもの護摩木という薪を尊い御仏の智慧の炎で焚焼し、ご本尊様にその願いをお届けいたします。結界が終わると柴を積んだ護摩壇にいよいよ火が入ります。奉納された護摩木を焚き上げた炎は、まさに仏さまの姿を現れるが如くに天高く上ります。
火渡り修行と火禦の梵天
護摩木焚焼の後には、くすぶる燠火を広げた道の上を素足で渡る「火生三昧・火渡り修行」が行われ、毎年小学生からお年寄りまで多くの方が「火伏せの梵天」を手にご修行されています。
陸奥国分寺HPより
今年も、残念ながら、火渡り修行(火渡り式)は、中止されました。
2月でしたので、まだ感染者数も落ち着かない時期でしたので、仕方ないですよね・・・
来年は、コロナ禍も落ち着き、火渡り式が開催され、皆さんが参加できる法要となる事を、強く願っています。
私は、この、薬師如来さまのパワースポットの、陸奥国分寺に関しまして、
寺院で日夜お勤めをする、高僧さま方々のお力と、
多くの参拝客や、市に集う市民の願い、思いが、一体となって、
薬師如来さまをはじめ、陸奥国分寺に祀られる、多くの仏様たちのお力が、光りを放ち、輝いて、御加護のお力が強くなっているように感じるのです。
皆様も、ぜひ、機会がございましたら、ご参拝くださいませ。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
安陽都奈(あひつな)

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