仙台市の郊外に、名湯で知られる秋保(あきう)という地名のパワースポットがあります。温泉が湧き、見るものを圧倒する大滝があり、古来から、霊場として、奈良平安〜鎌倉〜江戸、そして現代も脈々と続く、祈りの聖地。そんなスピリチュアルパワースポット、秋保には、不動明王さまの存在を感じられずにはいられません・・・
慈眼寺 仙台は、千日回峰行の大阿闍梨開山の修験寺院
杜の都 仙台の奥座敷と言われる、秋保(あきう)地区は、
宮城県と山形県との県境に位置し、名湯が湧き、瀑布が存在する秘境の里。
旧石器時代から人の営みが確認でき、
古今和歌集や新古今和歌集にも謳われ、自然豊かなその里は、自然を崇拝する人々が祈りを捧げる里にもなりました。
そんな、奥座敷の祈りの里に、平成の御代、西暦2003年に
金峰山修験本宗【 福聚山 慈眼寺 】が、塩沼亮潤大阿闍梨によって開山されました。
私もその一人でしたが・・・
知る人ぞ知る、仙台ご出身の大阿闍梨さまが、仙台に戻られて、開山されるニュースは
同郷の人々の大きな尊敬の念と、歓喜の声、開山を心待ちにされる人々の熱狂、
大阿闍梨となられた、
聖人、塩沼亮潤大阿闍梨を一目見たいと願う多くの人々で、大変な騒ぎとなったのを覚えております。
慈眼寺 仙台、千日回峰行成満の塩沼大阿闍梨
慈眼寺 仙台を開山された、塩沼亮潤大阿闍梨が、満行達成された、
千日回峰行という、厳しい修行ををご存知でしょうか?
なんと、金峰山の長い歴史、1300年間における、千日回峰行の満行者は、たった2人!!
そのお一人が、塩沼大阿闍梨さまなのです。
人類にとって大偉業でありました。
ましてや、私のように同郷の人々にとっては、率直に誇らしいしですし、大きな尊敬の念と、驚きと大きな喜びでした。
では、
その千日回峰行とは?どんなものなのでしょうか・・・
「大峯千日回峰行」とは、
奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂から24㎞先にある山上ヶ岳頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355mある山道を往復48㎞、1000日間歩き続ける修行です。毎年5月3日から9月3日まで年間4ヵ月を行の期間と定めるので、9年の歳月がかかります。
行に入ると毎日19時に就寝、23時30分の起床と共に滝行で身を清め、装束を整えて午前0時30分に出発。道中にある118か所の神社や祠で般若心経を唱え、勤行をしながらひたすら歩き続けます。 持参するものはおにぎり2つと500mlの水。これを食べ繋ぎながら山頂到着8時30分。帰山するのは15時30分です。1日16時間歩き続け下山してから掃除洗濯、次の日の用意など身の回りのことを全て行者自身がするため、約4時間半の睡眠で行に臨む生活が続きます。
このような生活が続くと1ヶ月で栄養不足のため爪がぼろぼろと割れ、3ヶ月目に入ると血尿がでるほど衰弱していきます。しかし、どんな状況になっても1度この行に入ると途中でやめることは決して許されません。万が一途中で行をやめざるを得ないと判断したならば、所持している短刀でもって自ら腹を切り、行を終えるという厳しい掟があります。
千日回峰行者の衣装は「死出装束」といい、紐を含め全てが真っ白です。 肉体的にも精神的にも限界に近い非常に追い込まれた極限の中での行は、一瞬一瞬が命がけです。1991年5月3日より述べ4万8000キロを歩き、1999年9月3日に大峯千日回峰行を成満。
慈眼寺 HPより
この文章を読まれた方は、想像してみてください。
私に限らず、ほぼ全員、満行達成は、無理だと思ってしまいますよね・・・
塩沼大阿闍梨は、9年間この修行を続けられ、1,000日の回峰行を満行達成されました。
肉体的にも、精神的にも、鍛えて、充実されたものにしか、臨めない行ですよね。
それと、
強い肉体、強い精神以外に、絶対的に必要なものは、
『神仏からのご加護と、神仏から頂いた運の強さ』だと思います。
満行達成は、神仏に選ばれた者の証ではないかと思います。
慈眼寺 仙台、千日回峰行成満!修験寺院の護摩修法
塩沼大阿闍梨は、
その他にも厳しい修行を成就されておりますので、紹介させていただきます。
四無行
「四無行」とは、
断食、断水、不眠、不臥を九日間続ける修行です。 これは、食べず、飲まず、寝ず、横にならずこの4つがないということで四無行といいます。 四無行は大変危険な行で、無事生きて行を終える確率が50%といわれています。それ故、行に入る前に浄斎の儀という通称生き葬式を行い、縁のある人達と最後の食事を共にし、今生の別れを告げます。その際、行者は実際には食さず、食べる動作のみ行います。
行に入ると、食べない、飲まない、寝ない、横にならないだけでなく、毎日午前2時に仏さまにお供えするお水を片道200メートルほど先の閼伽井戸まで汲みに行きます。そして一日3回、本尊様の前で密教を修法し読経します。その他の時間は、不動明王のご真言を10万遍、さらに蔵王権現のご真言を10万遍、計20万遍のご真言を数珠と石を使い数えながら唱え続けます。
中略
四無行が始まってから九日目の午前2時に出堂を迎えます。本堂に移り、本尊様が祀られている大きな壇の周りを三遍回り、その次に「朴の湯」という朴の葉のお茶を飲む儀式を終えてから、法要を行い出堂作法となります。最後に天満宮の天満社というお宮さんの前に筵を敷き松明を置いて、食事をする儀式をします。しかしこの時も食べる動作のみです。 大峯千日回峰行を成満した翌年の2000年9月28日から10月6日にかけて四無行を成満。
慈眼寺 HPより
八千枚大護摩供養
八千枚大護供とは、
100日間五穀(米、大麦、小麦、小豆、大豆)と塩を断つ前行の後、24時間一昼夜飲まず、食べず、寝ず、横にならずで八千枚の護摩を焚き続ける行です。2006年3月15日に成満。
慈眼寺 HPより
私が、修行について、私見を述べるのはおこがましいこと、分不相応なことですので、
慈眼寺さまのHPの引用をさせていただきました。
筆舌に尽くし難い、厳しい修行を繰り返された、大阿闍梨さま
まさに、生きている仏さま、聖人さまですよね!!
慈眼寺では、
毎月第3日曜日13時より護摩堂にて、護摩供養されておりますので、
ご希望の方は、整理券をいただいて、供養していただけるようです。
慈眼寺のご本尊、不動明王さまのご加護をいただけますように
ぜひ、ご参拝くださいませ。
秋保大滝不動尊 西方寺の不動明王さまの起源と修験道
秋保には、前記した慈眼寺の他にも、
不動明王さまをご本尊とされている、有名な古刹【滝本山 西方寺】がございます。
秋保大滝展望台入り口に御鎮座されます、真言宗智山派の寺院。
私自身も、【秋保大滝不動尊】という言い方の方が、馴染みがあります。
西方寺の不動堂は、文政8年 西暦1825年に、不動明王坐像造立とともに建立されたようです。
私も参拝させて頂いた時に約200年の歴史がある、西方寺不動堂は
真言宗、いわゆる仏教寺院なのですが、
神仏習合の形式から、不動堂では、二礼二拍手の神道形式の参拝方となっていました。
約200年前に建立された、不動堂は、
中興の祖【知足上人】(ちそくしょうにん)が、再興させてお堂なのです。
文化元年、西暦1804年〜 19年間、奥州を巡錫(じゅんしゃく)し、寄付していただいたお金で、
文政8年 西暦1825年に不動堂をたて、不動明王を祀ったのです。
私は、上人の伝記を目にして、修行に身を預けた、その強い意志に、心打たれるものがあります。
19年間、東北をめぐり、寄付を募って、建立・・・
その強い意志、肉体、全てにおいて、とてもとても、常人にはできないことで、
とても尊いことであり、まさに偉業ですよね。
でも、
知足上人は、それだけで終わりではないのです・・・
時は戻り、
若き上人19歳の時、1年以上にわたり、日本巡国修行中に出ます。
里に戻った商人は、(現・秋保不動尊)境内に「大聖不動明王」と彫られた大きな石碑を建て、その後に名を改め【知足】(ちそく)と名乗るようになったようです。
その後は、断食の修行をされたり、
千日の穀断ち(五穀を食べない)修行を満行し、【木食行者】となられる。
そして、前記した、19年間の奥州巡錫修行ののち、不動堂建立の偉業を達成、不動尊像、不動堂の完成後も上人は各地を巡錫を続けられた様です。
そして迎えた、文政11年 西暦1828年 9月5日、
衆生済度(しゅじょうさいど)を願い、大滝の岩頭から投身遷化・・・・
上人40歳の時と伝わっております。
尊い上人さまが、中興の祖となり、現在の秋保大滝不動尊が建立された起源となります。
中興の祖、という言葉が示すとおり、西暦1825年より以前、
平安初期に、慈覚大師が不動明王を安置したとの言い伝えもありますので、
慈覚大師が立ち寄られたということは、その時代より以前に、
西方寺があるその地、滝は、有名であったと言うことが推測されますし、
そのような事から、はるか古代より、その地が、信仰の地、聖地であったことも推測されますよね。
私は思うのです。
信仰の聖地、秋保地区
偶然か? 必然か? お二人の聖人が、時代を超え、同じ里におります。
修行に身を投じられ、衆生を救おうと発願されたお二人の聖人(知足上人様・塩沼大阿闍梨様)は、
まさに、
不動明王さまの化身ではないかと・・・・
秋保大滝不動尊 秋保大滝は修験のスピリチュアルパワースポット
秋保不動尊 滝本山 西方寺は、
前記したように、慈覚大師が、開基とも言われており、不動明王をご本尊としている寺院です。
私は、神社仏閣巡りをしていると、
東北各地に、円仁(慈覚大師)を開基とする天台宗寺院が数多くあるのですが、
史実はよくわからないのですよね・・・
ですが、実際に慈覚大師が各地に足を運ばれていないにしろ、当時、天台宗の寺院の建立は、
慈覚大師のご意志、ご指導のもと、建立されたでしょうから、
慈覚大師の名代と言いますか、特命全権大使的に派遣された、高僧なのでしょうね。
ということは、その寺院は、慈覚大師が開基と言っても良いと、私は、思っております。
話は、戻りまして
西方寺に、現在祀られている不動明王は、伊達家の鋳物師津田甚四郎の作ということです。
像高3.3mは、胴回り5.1m、膝回り7.2m、火焔の高さ5mだそうで、
現存する金銅不動明王として、日本一の大きさのようですよ!
私も、本堂に上がらせて頂き、
お参りさせて頂きました際に、不動明王像の、その大きさに圧倒されました。
私のおすすめとしましては、
秋保大滝に観光、見物される際は、
そのまま滝に向かわずに、
必ず、秋保不動尊 滝本山 西方寺にご参拝いただいてから、滝に行かれた方が良いと思います。
なぜなら、その地、その滝は、古代からの聖地なのです。
私は、聖地に足を踏み入れる場合は、
それ相応の礼儀を持って観光されるべきだと、考えておりますので、
ご挨拶程度でも良いので、手を合わせてからの滝見学をお勧めしております。
そして、聖地、パワースポットの秋保大滝は、
国の名勝に指定されており、日本の滝100選の一つに数えられている、有名な瀑布です。
私も、疲れた時に、癒されたい時に行くことがありますが、
徒歩で、滝のすぐ近くまで降りることができ、
落差は、55メートル、幅6メートルで流れ落ちる滝を真下から眺めることができます。
水が落ちるそのエネルギー、水飛沫、風圧を、直接肌で感じると、
理屈ではなく、直感的に、聖地であることが納得できますよ。
諸説ありますが、
日本三名瀑にも数えられることもあります。
それほどすごい滝、パワーを感じる、聖地なのです!
秋保という地は、古来から、聖人が、修行の地として選ばれる土地です。
聖人が、この地を修行の地に選ぶということは、選ぶだけの、理由があるはずなのです。
東北のパワースポット、聖地のエネルギー
それを感じるには、現地に足を運んで、直接肌で、魂で感じるしかありません、
ぜひ、秋保に足を運び、聖人が感じたエネルギーを感じとってみてくださいませ。
最後まで、読んでいただきましてありがとうございました。
安陽都奈(あひつな)
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