千手観音さまは、全国にお祀りされている有名な菩薩さまですよね。十二支の干支の守り本尊としても知られている千手観音さま。仙台の街でも、干支の守護も仙台城下の守護としても、とても有名なスピリチュアル寺院があります。どんな、スピリチュアルな秘密が隠されている寺院なのでしょうか?
千手観音 仙台 善入院は、子年の守本尊!菩薩さま?どんな神様?
千手観音のお名前は、皆様も、一度は聞いた事があるのではないでしょうか?
千手観音さまは、仏教の信仰において、菩薩(ボサツ)という、ご性格を持たれた、いわゆる仏様で、数ある観音さまの一尊。
本名は、
千手千眼観自在菩薩(センジュ センガン カンジザイ ボサツ)
と言います。
観世音菩薩と名前がつく、菩薩さまは、千手観音さまの他にもあります。
例えば、大表的なものには、聖観音・馬頭観音・十一面観音・如意輪観音・准胝観音などが知られていまよね。
私は、観世音菩薩さまを、とても身近に感じており、よく観音参りをさせていただいております。
全国各地に、〇〇三十三観音 として、お参りする風習がございますよね。
一番札所〜三十三番札所まであり、お参りをして、お札をいただいて観音様の御守護をいただく巡礼。
仙台にも、仙台三十三観音参りがございますよ!
千手観音さまは、
千の手と千の目をもたれ、生きとしいける全てを救済する御慈悲を持たれた菩薩さまと言われています。
その御慈悲、お持ちの御性格をビジュアル化したのが、手が沢山ある千手観音仏像ですよね。
私も、千手観音さまの仏像は大好きで、その美しいお姿に、いつも見入ってしまいます〜。
善入院 仙台 御本尊、千手観音菩薩 手の数は?何を持っているの?
千手観音菩薩像に見惚れて、良ーく見てみると、
千手観音菩薩像の腕は、42本で作られていますよね。
一般的、と言いますか、
おおよそ腕(手)は、42本がスタンダードのようですね。
仏像は、あくまでも千手観音菩薩さまの、慈悲の力の広さを表しているだけなので、実際に、1,000本ある必要がないですよね!
菩薩さまのエネルギーをカタチに表しただけですので。
でも、でも、
リアル 千手観音像は、存在するようです。
奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)
大阪の葛井寺(ふじいてら)
京都の寿宝寺 (じゅほうじ) というお寺に、
リアル千手観音像(手が、1000本あるという意味)が、3体存在しているようですよ!
その中でも、私の注目は、 【大阪の葛井寺】 の千手観音像!
奈良時代の作で、1041本の手を持つそうです。
一般的な千手観音象の手が42本なのに、それより1,000も多いの?! 1041本の、対にならない、1は、何を意味するの? って驚きですよね。
私はまだ、画像でしか拝見した事がないので、ぜひ、機会がありましたら、 一度は見てみたいですね!
そして、上記致しましたが、
本名の千手千眼観自在菩薩(センジュ センガン カンジザイ ボサツ)
の名前の通り、手には、【眼】がついています。
そしてもう一つ、
手には、たくさんお道具をお持ちになっているのです。
食器や、お薬、武器、お花、道具、宮殿、化仏、等々
私は、いつも千手観音像をみるたびに、あれはなんだろう?と、
考えてしまいます。
おそらく、さまざまな道具を持ち、人々が生活をする上で、必要なもの与えてくださり、悩み、不安、恐怖、苦しみなどから、人々を救うお姿をカタチに表されたものではないか、と思っております。
千手観音 仙台 善入院は、ねずみ年の守本尊! どこにある?
前の章では、
観世音菩薩さまや、観世音菩薩坐像について深掘りをしてみました。
この章では、杜の都 仙台で、千手観音さまが祀られているお堂のことや、
なぜ祀られているのか?
街や、人々にどのような影響を与えてくださっているのか?
を、
私なりに、探っていきたいとおもいます。
仙台の街で、千手観音菩薩を祀っている寺院は、沢山あると思われますが、
町の守護、干支の守護として、
古くから仙台市民に崇敬されている、寺院がございます。
それが、【善入院 観音堂】です。
現在、善入院は、廃寺となり、観音堂が残っています。
私も、近くに行った際は、手を合わせに、参拝させていただいておりますのでが、いつも時空を超えて江戸時代に行ったような感覚になる、パワースポットでです。
また、観音堂は、三間四方の宝形造りで、仙台市の登録文化財になっている、立派なお堂ですので、子年の方は、ぜひ一度、ご参拝くださいませ。
創建は、明暦元年 西暦1655年で、
修験寺院の【慈眼山 清光院】を別当とした観音堂だったようです。
記録見ますと、昭和に天台宗寺院の、一輪山善入院と合併したようで、現在は、廃寺。
宗教法人 善入院としてあるようですね。
明暦元年と言いますと、仙台藩 第二代藩主 忠宗公の御時代。
仙台藩 初代藩主 政宗公が、仙台城下設計した際に、いろいろな結界を張られました。
その一つが、干支十二支の守り本尊を、8ヶ所置いたこと。
ということは……
政宗さまの御時代には、
子年の守り本尊は、別の場所、別の神社や寺社だったことが推測されます。
そして、観音堂を祀った、ということは、もともとその場所や土地に、
何らかの信仰があった地と考えられます。
それは、後ほど調べてご報告!ということにさせていただきます。
記録は、
明暦元年 西暦1655年に、修験院として 慈眼山 清光院を建立、昭和8年に、天台宗寺院 一輪山 善入院と合併とありますので、
私の推測にはなるのですが、
明治時代の、廃仏毀釈と修験宗禁止令で、一度、天台宗へ改修していると思うのです。その後、昭和になって修験宗が解禁されて時に、そのまま天台宗寺院と合併、としたのではないでしょうか?
天台宗に改修した修験宗は、本山派の修験宗だと思われます。
今回、もう少し深入りしたかったのですが、資料も少なく、知れべきれないところは、宿題とさせていただきます。
仙台藩 第二代藩主 忠宗公の御時代に創建された、善入院 観音堂
現在でも、「原町の千手観音」と呼ばれ、子年の守り本尊として、崇敬を集め、仙台三十三観音の、第10番札所として、訪れる方が多くいらっしゃる、仙台のパワースポット!
境内の両脇には、石碑、石仏、御堂などが祀られており、その数の多さを見ても、スピリチュアルパワースポットであることも物語っております。
今も、昔も、変わらずに、市民に愛されている寺院で間違い無いかとおもいました。
最後まで読んでくださり有難う御座います。
安陽都奈(あひつな)
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