二十三夜堂 仙台 午年の守りと祭りの秘密・御本尊 勢至菩薩とは?

二十三夜堂 仙台は、勢至菩薩さまを祀るお寺です。月の化身とも言われる勢至菩薩さまのもと、毎月23日(本来は旧暦)に、二十三夜の月まちをしながら、講が開かれて人が集う。関東以北では、唯一の守本尊!スピリチュアルパワースポットの二十三夜堂 仙台 には何が隠されているのでしょうか?

 

二十三夜堂 仙台 午年の守りと祭りの秘密・御本尊 勢至菩薩とは?

勢至菩薩(セイシボサツ)さまを、ご存じでしょうか?

 

耳なじまいのない、と言いますか…

正直、あまり聞いた事がない という方が多いのではないでしょうか?

 

勢至菩薩さまは、【大勢至菩薩】が正しい呼び方のようで、

その他にも

【大精進菩薩】(ダイショウジンボサツ)

【得大勢菩薩】(トクダイセイボサツ) という呼び名もあるようです。

 

ちなみに

私は、活動範囲内、ご近所さんに 仙台 二十三夜堂がありますので、辛うじて勢至菩薩さまを知っていた という事になります。

そもそも、なぜ知名度が低いのか?と言いますと、勢至菩薩さまが、単体の仏様として、祀られている事が少ないからなのです。

ですので、

仙台の二十三夜堂 みたいにご本尊として、勢至菩薩さまが祀られている方が珍しいのかもしれませんね!

 

勢至菩薩さまの知名度が低い、その理由としましては、

【阿弥陀三尊】(アミダサンゾン)の右脇侍(ミギ キョウジ・ワキジ)

として、祀られる事が多いからです。

 

阿弥陀三尊 とは、

中央に【阿弥陀如来】(アミダニョライ)

左脇侍には、 有名な【観世音菩薩】(カンゼオンボサツ)

そして、右脇侍が、【大勢至菩薩】(ダイセイシボサツ)

 

3体の仏様で祀られる仏像安置形式となっています。

 

私も、三尊像形式の仏像は大好きで、有名なお寺では、三尊像形式で多く見られますよね。

 

その他、有名な三尊造形式には、

釈迦三尊像(シャカサンゾンゾウ)や、薬師三尊像(ヤクシサンゾンゾウ)などがあります。

私は、どうでも良い事なのですが、個人的に、釈迦三尊像も大好きです。

 

二十三夜堂 仙台 午年の守りの御本尊 勢至菩薩様と観世音菩薩様

大勢至菩薩さま

観世音菩薩さまは、

阿弥陀如来さまを中心に、阿弥陀三尊像として、一緒に祀られている事が多いのです。

 

その意味合いとしましては、

 

大勢至菩薩さまが、【智慧】をあらわす化身とされており、

観世音菩薩さまが、【慈悲】をあらわす化身としてされているのです。

 

大乗仏教では、智慧と慈悲は、二つで一つ、

両輪に比喩される事が多いですね。

 

智慧とは、真理を知り、迷いを破る力であり

慈悲とは、楽を与え、苦しみを除くことを願う心の働きを指すようです。

 

なので、大勢至菩薩さま、観世音菩薩さまは、

この世において、2人でひとつの働きをなさり、この世の苦しみから、人々を救済をされていることになりますね。

 

私たちには、計り知れない、深い深い、智慧と慈悲を持ち合わせているのが、

大勢至菩薩さま、

観世音菩薩さま、なのですね。

 

私たちは、なぜか? 知恵と慈悲が、二つでひとつ、両輪なのに、

慈悲の方だけに心を寄せ、観世音菩薩の慈悲に救われたいと願ってしまうのです。

 

慈悲だけでは、片輪です。

同時に、真理を知り、迷いを破る力! の、智慧を持たなければいけないのです。

 

真理を知り、迷いを破る力は、学びを持って初めて理解できることです。

学ぶことを避け、慈悲だけに頼ってしまうのは、きっと、私たち人間の弱さなのでしょうね……。

 

阿弥陀三尊像が有名な寺院は、

京都の三千院、清涼寺、仁和寺、奈良の法隆寺、兵庫の浄土寺など、国宝の阿弥陀三尊像を祀っておりますが……

 

私は、東北に住まうものとして、

岩手県平泉の中尊寺金色堂の阿弥陀三尊像が一押しです!

 

阿弥陀三尊像、左右に三躯ずつの六地蔵菩薩立像、手前に、持国天、増長天の、二天像が祀られている、独特な形式となったおります。

私は、阿弥陀三尊像と聞くと、荘厳な御堂、見る度ごとに新たな気づきを持たせてくれて、その美しさに、心うたれる中尊寺金色堂が、いつも頭の中に思い浮かぶものです。

 

 

二十三夜堂 仙台二十三夜堂 仙台 午年の守り建立の歴史

 

お話は、仙台に戻ります。

 

仙台で、大勢至菩薩を祀っている寺院で、有名なのは、やはり【二十三夜堂 仙台】ですね。

仙台市青葉区北目町にあるお堂で、正式名称は、【賢聖院二十三夜堂】 別当は、天台宗北目山賢聖院(けんしょういん)です。

建立は、延久元年と言いますから、西暦1069年、平安時代に、仙台市太白区郡山に創建され、

康暦2年、西暦1380年に中興再建されています。

 

言い伝えによる記録には、
北目館主藤原宗房が再建、康暦2年(1380年)性円法師が中興したといわれてます。
と載っております。
私は、現段階で確認が取れないので参考まで記します。

寛正年間、西暦1461〜1466年に、北目城というお城もあった土地の一角に【天台宗北目山賢聖院】が建立されたと思われます。

 

その後、伊達家の支配となり、

伊達政宗公は、慶長5年の関ヶ原の戦いの頃から仙台城に移るまで、居城としておられたようです。

 

 

私もゆかりあるこの地域は

広瀬川と名取川に挟まれた地域で、縄文時代には村が形成されておりますし、

奈良時代には、大和朝廷の役所、官衙や寺院跡もある郡山遺跡があり、北目城というお城まであった土地柄。

昔は資材を運ぶにも、人を運ぶにも、水運が重要であったと思われますので、まさに交通の要にもなっていた土地ですから、古くから人の営みが盛んでいたことが確認できます。

 

 

二十三夜堂 仙台 勢至菩薩の干支と祭りの意味は?

賢聖院二十三夜堂は、

慶長年間 〜西暦1615頃に、仙台藩 初代藩主 伊達政宗公が、

現在の地(仙台市青葉区北目町)に意見したと伝えられており、

大勢至菩薩を祀っております。

 

私は、移転の理由として考えられるのが、

仙台城下の護りのために、十二支の守本尊を、城下に配置したことに由来していると思われます。

 

また、

現在の住所の地名【北目町】も、北目城から人々も共に移住してきたことから北目町と由来しているようです。

 

午年生まれの守本尊「勢至菩薩」を祀っておりまして、

賢聖院二十三夜堂さんでは、【関東以北で唯一 午年生まれの守本尊】と謳っております。

午どしの守本尊、

大勢至菩薩を祀っているって、とても珍しいという事ですよね。

 

月の化身と言われる、勢至菩薩様のご縁日が二十三日である事から、二十三夜堂のお名前がついております。

 

ご縁日は、人々が集まって飲食をしながら月の出を待つ講、二十三夜講を行ったており、

月待信仰は、戦ももなく、食糧も充実してきた江戸時代に盛んになり、全国各地で信仰ヶ行われていたようですね。

 

二十三夜以外にも、十五夜、十六夜、二十六夜などの月待信仰が行われており

私は思いますに、

信仰と称して、夜に、人々が集い、飲食を共にして、語らい、絆を深める意味合いが強かったのではと思います。

 

本音と建前と言いますか、

今と違い、夜は電気もく、食事も、ハレの日にしかご馳走は食べない時代。

 

公に、堂々と、

今日は二十三夜だから!と言って、夜ふかしをできる日、ハレの日の美味しいご馳走を食べ、仲間と語らう時間は、楽しみと言いますか、至福の時だったと思えます。

 

ちなみに、二十三夜は、(地域にもよりますが)おおよそ23時頃の月の出、二十六夜で01時ころの月の出となりますので、

月が出ないと(夜中まで起きてないと)、勢至菩薩様から、知恵を授からない!というには、うってつけの日ですよね。

 

二十三夜堂 仙台は、

十二支の結界の要となり、城下の護りを固めるお役目を持ち、

ご縁日(お祭りの日)毎月二十三日に人々が集い、

城下の人々の絆を深め、人々の癒しとなり、人々の学び(信仰)の場となっていたのです。

 

二十三夜堂をはじめ、人々の生活と、信仰が密接に繋がっていた、素晴らしい町と、時代を造られた仙台。

当初は、東北の民を縛る為に用いられた、神仏の力のベクトルを、東北の土地と民の護りへ変えた

仙台藩 初代藩主 伊達政宗公の意思を感じてしまうのです。

 

二十三夜堂は、間違いなく、仙台のパワースポットの一つです。

機会がございましたら、是非ご参拝くださいませ!

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

安陽都奈(アヒツナ)

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