日本文化の礎となった、縄文文化。神と共に生きた縄文の人々に崇拝されていた神とは…。
歴史の中に隠された謎の神が、現代の私たちに伝えたい事とは…
荒脛巾神社 多賀城・アラハバキの正体とは?客人神や龍神伝説・・
アラハバキって、聞いたことありますか?
東北や、古代東北で信仰されてきた神と言われていますが、その正体は、ミステリアス!
アラハバキは、ミステリアスで、実は、未だ正体不明ですが、神としてして各地の神社に祀られている、という、不思議な神なのです。
ざっくりですが、日
本の東半分、東北、関東に多く、東海地区までに祀られている神ですが、どんな神様なのか?
各地伝承、諸説ありすぎて、良くわから無い!というのが正直なところ。
漢字では、荒脛巾、荒覇吐、荒吐(アラハバキ)などと書くことが多く、(書き方は、他にもたくさんあります)
そもそも日本語なのか?古代日本語?アイヌ語?はたまた外来語なのか?
なんの神様なのか?誰が信仰していたのか?どんなご利益があるのか?
全てがミステリアス!
でも、確実に存在している神なのです!!
客人神?龍神説?
多くは、客人神(まろうど神)としてひっそり祀られていることが多く、時には、龍神として祀られている事もあります。
北海道と東京に祀られている金吾龍神社さまの奥宮には、荒波々幾大神(あらはばきのおおかみ)として、約5000年前より、龍神信仰の原初の神、縄文時代の自然信仰の最高神として祀られているそうです。
その他、女陰説、蛇神説、塞の神説、製鉄の神、製鉄の民、出雲系の神、宇宙人説まで諸説あります。
ここからは、アラハバキとは?客人神?龍神?の謎を、実体験をもとにして、少しでも真実に近づけるように、アラハバキ神の謎を紐解いていきたいと思います。
私は、いわゆる、スピリチュアリストとして、民間の陰陽師のような活動をさせていただいておりますが、宮城県多賀城市の、荒脛巾神社付近を通りかかったときに、この神と繋がったことがあり、お話しする機会がございました。
神様事なので、お話の詳細は申し上げられないのですが……呼び止められたきっかけは、アラハバキ様のSOSでした。
神様のSOS? えっ??ですよね。わたしも驚きました。
アラハバキ神の正体は、お会いして、お話しして見ると、
客人神?龍神説?女陰説、蛇神説、塞の神説、製鉄の神、製鉄の民、出雲系の神、宇宙人説?
どれも、少しづつ真実で、少しづつ違うような気がしました。
荒脛巾神社 多賀城・アラハバキの正体・土偶の関係?天目一箇神?
アラハバキ神と土偶の関係は?
いわゆる遮光器土偶と言われる、土偶の容姿は、遮光器をつけていることから、宇宙服やっぽい!
と、土偶自体が宇宙人をかたどった、宇宙人説は良く耳にするかと思います。
アラハバキと土偶の関係は、東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)という歴史書から結びついたようです。
描写された、容姿が土偶に似ている、と言う事から、同一視されたようです。
でも、あらはばき神の容姿は、東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)で言われたような、土偶の容姿は別かと思いますよ。
とはいえ、土偶と神の結びつきは無いわけではなく、土偶ともその関係があります。
そして、容姿といえば、天目一箇神(あめのまひとつ)、
いわゆる片目伝または、片目片足の神と言われた、天目一箇神の容姿と、アラハバキ神は、容姿の上で、とても近いと思いました。(あくまでも、個人的な見解です)
なので、
私は、アラハバキ神は、天目一箇神(あめのまひとつ)という、少数説をネットで見たときは、
正直、驚きました……実際に視た(視えた)方が書いた説かも知れないと。
ここで参考までに
天目一箇神は、製鉄、鍛治の神。
多度大社(三重県桑名市多度町多度)別宮の一目連神社の祭神で、別名も多い神さまです。
天目一箇とは、片目という意味であり刀剣鍛冶が片目をつむる、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病があったことからとされている。
また、一目連(いちもくれん、ひとつめのむらじ)神社の祭神はは、一目連は、天目一箇神となっておりますが、本来は一目連は、片目が潰れた龍神さまで、いつしか、同一視されるようになったようです。
天目一箇神と、混同された一目連、一目連=龍神ということです。
また、ある古文書には、アラ→龍、ハバキ→龍が取り巻く木(神木)を指すという口伝が残っていますので、ここでも、前項の、アラハバキは龍神?という伝説と関連が明らかになりましたね。
私の見解では、天目一箇神が、神と祀られた理由は、製鉄や鍛治神として祀られた理由のだけではなく、他にもあり!と考えております。
なぜなら、古来多々良製鉄は、戦力上最高秘密であり、その技術を持った人々は、秘匿され、集団で暮らしていたと考えられます。
当然、血縁も濃くなり、また製鉄時における中毒症や、また、製鉄による土壌汚染により、障害を持って生まれる、ということがあったのでは?と思います。
鍛治仕事で職業的に、後天的に障害を持っただけだは無く、生まれつき片目であったのでは?そして、その障害を持った方々が、神となったのでは?
その理由としては、
縄文の頃、わたしたち縄文の血を引く民は、障害を持って生まれた人に対して、差別心など微塵も持ておらず、
それどころか障害自体を尊いものと捉えており、障害を持って生まれてきた人を、
神と讃えていた!と考えているからです。
それは、縄文のビーナスをはじめとする、縄文土偶は、
その容姿から、実は、障がい者を、神または、神に近い存在と考えて、障害者をかたどり、神像として造られたものでは?と唱える、学説もあるからです。
世界各地の古代文明があった土地からも、やや異形と思われる人形の土偶が出土しており、
縄文土偶と類似が見られる事から、土偶は、障害を持った方を神と崇め、土偶にしたという学説が有力であると考えております。
スピリチュアルな観点からも、人は生まれてくる時には、自分で容姿や能力、課題を設定して、神の許可を得て、神々に祝福をされてこの世に生まれてきます。
そのことからも、古来日本人が、障害を持った方を尊い存在として崇めるのは、当然、持ち合わせていた精神であったはずです。
江戸期の、盲目の方が按摩さんとして、人々に尊敬されていた事実があり、
西洋的な言い方をするならば、社会的地位も高かったのは、その障害者を尊ぶ精神が、日本人には備わっていたからではないでしょうか?
西洋思想や、なんでも平等にする、悪平等思想の影響で、残念ながら、昨今、その精神は薄れてきているように感じますね。
話は本題に戻りますが、
土偶は、神のエネルギーを帯びていると考えた時代には、魔除けや出産時に、身代わりとして、
片足を折って、対象者の無事を願う、というような使われ方をしていとことが伺われます。
ここで、アラハバキと土偶、アラハバキと天目一箇神(あめのまひとつ)の関係性、
なんとなく繋がってきてくれたかと思います。
荒脛巾神社 多賀城・客人神や龍神伝説も・・アラハバキの正体とは?
古代神代のある時代に、製鉄技術を持った、出雲系の民と神ではないでしょうか?戦うことを嫌い、国譲りを繰り返し、やがて東北の地まで移り住み、その地で、平和に暮らした民と神。
やがて、
古代東北、北関東に、日高見国を作った、蝦夷(エミシ)と言われた民となたと考えています。
その平和も、束の間。
平安時代に、大和朝廷が、東北平定に乗り出しました。
そして、蝦夷が信仰していた、自然崇拝のシンボル、文明をもたらした知恵の象徴、アラハバキ神は、やがて、大和国家のために、塞の神とされ、縛られていったのです。(塞の神の説明省く)
元々、自然崇拝のために、社を持たず、信仰の対象物、山や、岩などを祀っていた古代東北。
(自然崇拝は、日本の古神道の姿で、東西の古神道文化にあまり差異はありません)
歴史を塗り替えられて、土着信仰が廃れました。
中には、社を作り、神を入れ替えられて祀らされた。
いつしか、主役から脇役の客人神とさせられ、
大和繁栄のための塞の神にさせられた多くのアラハバキ神。
形を変え、姿を変え、名前を変えられても、それでも、人々は、アラハバキ神の信仰を捨てていませんでした。
アラハバキ神は今も尚、存在しております。
現在も、アラハバキ という言葉が残り、各地にひっそりと祀られておりますのが何よりの証拠。
アラハバキ神は、大和の神と出雲神との平和を願って、主役の座を降りました。
どこかで、
アラハバキ神社を見かけたら、古の神代の時代、縄文の神に心を寄せ、そっと、手を合わせて、今ある世の幸せを、感謝を伝えてください。
神々に感謝し、神の国日本、日本人の誇り、日本人の信仰心、末長く平和な世を、祈ってください。
荒脛巾神社 多賀城・アラハバキ神が祀られている神社・参拝方法
金吾龍神社 https://kingoryujin.org/
荒脛神社 宮城県大崎市岩出山下一栗荒脛巾164
丹内山神社 岩手県花巻市東和町谷内2区303
荒脛巾神社 宮城県多賀城市市川伊保石44
などが有名です。その他各地に、摂社、末社として奉られております。また、伊勢の矢乃波波木神、鳥取県の波波伎神社など、全国に、形を変え、姿を変えて、祀っておられる神社も多くあると思います。
ご縁がありましたら、是非ご参拝くださいませ。
神社参拝方法
アラハバキ神の祀られている神社は、小さな神社、古い社である事が多くございます。お車などでお越しのさいは、近隣のご迷惑にならないよう注意をはらってご参拝くださいませ。
他の神社と同様に、身支度を整え、正中を避け、敬意を払いご参拝くださいませ。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
安陽都奈(アヒツナ)
コメント