青葉神社に秘められた、スピリチュアルエネルギー。仙台藩初代藩主、伊達政宗公が神となり、龍神を従えて守るものとは…
青葉神社と瑞鳳殿・伊達政宗公との関係とは?
仙台のパワースポット!青葉神社をご存知でしょうか?
杜の都・仙台、JR北仙台駅、地下鉄北仙台駅近くにご鎮座なさいます、地元では大変有名な神社です。
観光客で賑わっている神社と言うよりも、知る人ぞ知る!戦国武将愛好家さんは、一度は訪れたい神社の一つですよね!
明治7年に創建された、青葉神社
御祭神は、武振彦命(タケフルヒコノミコト)
なんと、戦国大名として、有名な【伊達政宗公】が御祭神として祀られております。武振彦命(タケフルヒコノミコト) は、伊達政宗公の、御神号。
神様としてのお名前にあたります。
山形県米沢市にご生誕された、伊達政宗公は、伊達氏の第17代当主で仙台藩の初代藩主!
寛永13年5月に江戸の仙台藩邸(現、日比谷公園一角)でお亡くなりになられました。
ご遺体は、生前にご遺言で残された、とある場所に埋葬されました。
それが、桃山文化を伝える豪華絢爛な廟建築の御霊屋【 瑞鳳殿 】 となります。
瑞鳳殿に関しても、とても面白いスピリチュアル秘話が残されておりますので、別ブログで記載いたしますね。
では、青葉神社、瑞鳳殿・伊達政宗公との関係とは…
伊達政宗公のご遺体は、御廟の瑞鳳殿に安置され、手厚くお祀りされております。いわゆる、政宗公のお墓の様な施設が瑞鳳殿。
一方、青葉神社は、武振彦命(タケフルヒコノミコト)をお祀りしております。
いわゆる、神様になられた、伊達政宗公がお祭りされております。
神様として、伊達政宗公をお祭りしている施設が、青葉神社。
この違いは、あまり差はない様に感じるかもしれませんが、スピリチュアル的には、大きな違いがございます。
ですので、伊達政宗公にお参りされる際は、どちらもご参拝くださいませ。
青葉神社の池、祖霊社と龍神池の龍神様
政宗様と龍が一緒に!
通常、神社に参拝に行ったら、拝殿にお参りする前に、手水舎で、手と口を清めますよね。
青葉神社の手水舎には、甲冑姿の伊達政宗公、甲冑姿の政宗公がなんと!龍を従えておりますよ。
青葉神社にお参りに来た皆様を、政宗公と龍が迎えてくれます。
また、青葉神社各所には、和龍という、和という漢字の口の部分が、稲と龍のデザインになっているマークが飾られております。
龍神と、政宗様のつながりを感じますよね。
そして、極め付けは、青葉神社内には、龍神池まで存在しております。資料によると、幾千年もの間一度も枯れたことがない溜池だと記されているそうですよ。
その前に!
池に行く道には、伊達家家臣を祀る祖霊舎があり、伊達家の家臣が祀られています。
必ず、祖霊社にて手を合わせてからいきましょう。一説には、政宗様の正室、愛姫(めごひめ)様も祀られているとか。
スピリチュアル的な事になるのですが、神社は、人がお参りする事により、神社そのもののエネルギーも高まってきます。
神社のエネルギーが低くなると、神様が居なくなったり、違うものが入ったりする事もあります。
多くの皆様が手を合わせる、祈る、感謝することがとても大切なのです。
話は戻り、
龍神池
池のほとりには、龍神の石碑があり、龍神碑の前では、多くの皆様が龍神様に祈りを捧げているエネルギーを感じます。
龍神池も、皆様に愛され、池を浄化しよう、池のエネルギーを高めようとする、皆様のエネルギーが感じる池です。
青葉神社、龍神池の龍神様は、人が気が遠くなる長い長い年月を経て、大切もの守り、天と地を繋ぎ、今は、少し歳をとったのでしょうね。
龍神様をいたわるかの様に、皆様が祈っている。
その祈りは、きっと龍神様のエネルギーを高めていることでしょう。
青葉神社のスピリチュアル・六芒星の結界
青葉神社のスピリチュアル最強!最大の秘密の一つは、
伊達政宗公が仙台の街を守るため、術師に張らせた【六芒星の結果】
その六芒星の結界の一つが青葉神社となっています(現在は)。また、鳥居にもは古代神紋である月と星のマークが彫られています。青葉神社では、その神紋を、火水土(かみど)と呼ぶそうです。
古文書ホツマツタエでは、火水土を(ヒミツ)と呼びます。政宗様と、神紋、古神道の関係は、とても意味が深いのです。
古神道と政宗様のお話しは、また別のブログにて。
青葉神社は、スピリチュアル!武振彦命さま、龍神様、人々の祈りのエネルギーで溢れています。
青葉神社と片倉小十郎景綱公の関係とは?
奥州の覇者としてその名を轟かせた、伊達政宗公ですが、政宗公を支えた人物として、忘れてはならないのが
【片倉小十郎景綱】公と言う、武将の存在です。
伊達政宗公の腹心として活躍いたした、片倉小十郎景綱公は、
伊達政宗の父である、伊達輝宗公の代から伊達家に支えており、伊達家の繁栄には、とても重要な役割を果たされた方です。
政宗公から、白石城の城主を任じられ、仙台藩の南の防衛の要となっていたようです。
戦国basaraというゲームでも、【鬼の小十郎】として、とても有名な武将で、歴史ファン、戦国武将愛好家から人気を集めてまいますよね。
その、大阪夏の陣で【鬼の小十郎】と恐れられた片倉小十郎は、景綱公では無く、
景綱公の嫡男、重長公です。
なぜなら、片倉小十郎景綱公は、なにせ、政宗公の父の時代から支えてた武将でございますから
長生きにしても、ちょっと、時代が合いませんよね。
青葉神社と片倉小十郎景綱公とは…
青葉神社では、片倉景綱を祖とする片倉家当主が歴代の宮司を務めており、現在の宮司も片倉景綱の子孫である16代当主「片倉重信」(かたくらしげのぶ)が務めているのです。
そして、調べてみますと、片倉小十郎景綱公の父君は、神主であった様です。
片倉家は、もともと神様とは縁が深いご家系だっだ様です。
どおりで…
青葉神社の祭り、仙台・青葉まつりとは?
青葉神社の仙台・青葉まつりをご存知ですか?5月に開催される、
【 仙台・青葉まつり 】は、
8月の「仙台七夕まつり」
1月の「大崎八幡神社の松焚祭」と並ぶ「仙台三大まつり」の一つに数えられているお祭りです。
青葉まつりの由来は、江戸時代、仙台藩最大の祭りは
仙台東照宮の「仙臺祭」がありましたが、明治維新の影響で開催できなくなり、東照宮御祭礼に出ていた山車は、桜岡大神宮や、青葉神社の祭礼に参加してその形を残していたようです。
その、青葉神社の祭礼も市内に電線が張り巡らされ、巡行をすることができなくなったことで衰退していった様です。
大河ドラマ、「独眼政宗」や、仙台の市制100周年などさまざまな背景が後押しになり、1985年(昭和60年)伊達政宗公の没後350年に、青葉祭りは復活しました。
復活した祭りは、仙台市中心部で執り行われる、本まつりでは、山鉾巡行・青葉神社神輿渡御・武者行列・すずめ踊りなどが開催され、とても賑わう、仙台三代祭りの一つ、仙台・青葉まつり となって行きました。
青葉まつりといえば、
仙台市民では、知らない人がいない有名な、そして、多くの市民が参加する有名な踊りがあります。
それは、【雀踊り】と言われる踊り!
両手に扇子を持ち踊る姿は、とても華やかです。
雀踊りの由来は、仙台城完成の折、岩井の席で、石工の方々が政宗公の前で踊ったことが由来と言われ、また、伊達家の家紋が「竹に雀」だったことなどから、「すずめ踊り」と呼ばれるよになりました。
仙台では、友人知人に聞くと、必ず、誰か1人くらいは、仙台・青葉まつりに参加経験がありますよ。そのくらい仙台ではメジャーな祭りです。
また、仙台・青葉まつりでは、青葉神社の神輿渡御が行われるますが、それとは別に、政宗公の御命日に青葉神社【春の大祭】が執り行われています。
ぜひ一度ご参拝くださいませ。
最後まで読んで下さいましてありがとうございます。
安陽都奈(アヒツナ)
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