仙台東照宮はパワースポット!伊達家と徳川家との関係と六芒星

全国に鎮座する、東照宮、仙台の地にも祀られています。東照宮が、仙台に祀られてる意味とは?スピリチュアル神社と言われる理由とは……

仙台東照宮はパワースポット!伊達家や徳川家のお寺?それとも神社?

仙台東照宮の本題に入る前に、東照宮の予備知識を!東照宮といえば、久能山、日光。当然、本家本元ですので有名ですよね!

でも、多くの皆様は、東照宮って有名で、名前は聞いたことあるけど、本当は、東照宮って何なの? よく解らない!って方多いですよね。

東照宮って、お寺なの?神社なの?御廟なの?

 

正解は、神社なのです。

【東照大権現】をが祭神としてお祀りしている神社です。

 

徳川家康公の薨後の(亡くなられた)翌年に、第108代天皇、後水尾天皇より賜った勅諡号(チョクシゴウ)が、【東照大権現】。

久能山東照宮がある静岡県、日光東照宮がある栃木県の他に、北海道、山形県、宮城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、愛知県、岐阜県、三重県、大阪府、福井県、滋賀県、和歌山県、鳥取県、島根県、広島県、香川県、高知県、長崎県の22都道府県、49社(全国東照宮連合会加盟神社)、全国に沢山の東照宮が御鎮座されております。

凄いですよね、さすが家康公!!

 

仙台東照宮はパワースポット!伊達家と徳川家との関係と六芒星

仙台東照宮のパワースポットの理由とは、

江戸幕府を開き、全国統一を実現された、徳川家康公、生前からその御威光によるパワーを秘めたまま、東照大権現となり、さらにエネルギーが増し、現世を照らしております。

仙台の東照宮は、徳川家康公と、東照大権現のエネルギーが、仙台の鬼門封じとして強力な結界を張っております。

私は、東照大権現を祀っている、仙台に侵攻するということは、徳川家に楯突くも同然。現実の世界でも、スピリチュアルの世界でも、その様な呪を掛けている様に感じております。

 

仙台の都市には、当時の伊達政宗公が依頼して張った結界、六芒星の結界、籠目の結界が張られ、都市が守られております。

 

前回のブログに記載した、青葉神社同様、仙台東照宮も、その六芒星の結界の一つ、要となっております。

東照大権現のエネルギーに満ちている、仙台東照宮の仙台の鬼門封じ!

六芒星結界の一つ!(仙台に張られた六芒星の結界と、伊達政宗公の願いに関しては、徐々に解説をしていこうと思います)

仙台・宮城のスピリチュアルパワースポットですよ。

参拝の際は、礼儀正しく、服装正すこと。お願い事をする前には、しっかりと日頃受けている御守護に対して、感謝の気持ちとお礼をしっかり伝えてくださいませ。無礼、失礼は、絶対にしない様にしてくださいませ。

仙台東照宮はパワースポット!なぜ仙台に?歴史・建てられた理由は?

東照宮、仙台にも

仙台東照宮は、全国に多くの東照宮がある中、ご当地、宮城県仙台市にも東照宮が御鎮座しております。

 

仙台東照宮の創建は、承応3年、西暦1654年、今から368年前になります。仙台藩主の代は変わり、2代藩主伊達忠宗公。徳川3代将軍の徳川家光公に造営を願い出て許可されました。

 

久能山東照宮の創建が、元和2年、西暦1616年、日光東照宮の創建が、元和3年、西暦1617年ですので、仙台東照宮はその、37〜38年後の創建です。選りすぐりの材料、腕利きの職人が全国から集められ、完成までに、5年の歳月を要したと言われています。

 

そんな、大大大工事ですから、大勢の人、多くの物流、多大な費用がかかったはず。仙台藩、伊達家が徳川幕府への忠誠心を表した大工事、一大公共事業だったことは、私も、その通りであったと思います、、、が、それだけだはないように感じます。

それを少し、紐解いてみたいと思います。

仙台東照宮は六芒星のパワースポット!伊達家と徳川家康公の関係は?

 

皆さん、仙台東照宮と徳川家康公との関係……

ちょっと不思議に思いませんか??

なぜなら、久能山東照宮、日光東照宮の建立は、当たり前ですが、徳川家康公の薨後(亡くなられた後)に建てられておりますよね。

仙台東照宮は、そのおおよそ40年後の創建。徳川家康公の薨後40年経っているので、徳川家康公と仙台東照宮は、直接的には、あまり関係性はない様にも思えてきますが…

実は、仙台東照宮を建立した、仙台藩二代藩主伊達忠宗公。

その、忠宗公の御正室、孝勝院振姫(こうしょういんふりひめ)さまは、徳川家康公の孫にあたるお方なのです!

私は、このことだけでも、徳川家と伊達家とは、深くご縁が結ばれておりますので、仙台東照宮建立の一因でもあったと思います。

 

考察のために、少し時代を遡ります。

仙台東照宮の建立より、さらに、遡ること63年(仙台東照宮創建の63年前)天正19年、西暦1591年に、東北地方に、葛西大崎一揆と言われる、乱が起きました。

これは、小田原征伐を成功させた、豊臣秀吉公が、全国統一の仕上げために行った、いわゆる、【奥州仕置き】に抵抗する、大名たちの一揆。

 

秀吉公に恭順を示していた伊達政宗公であったが、秀吉公に疑いをもたれていたために、この一揆勢制圧の、先導役、先発隊としての役目を負わされた。

その一揆鎮圧に援軍として奥州へ向かった大名の1人が、徳川家康公でありました。

一揆勢鎮圧の帰路、政宗公の案内で仙台の地を訪れた家康公。(当時、伊達政宗公は、まだ仙台領地ではありませんでした)その帰路に、徳川家康公が、御休息をとった場所があります。

 

時は過ぎ、関ヶ原合戦ののち、天下を取った、徳川家康公より、仙台の地の所領を許された伊達政宗公。

仙台藩の中心地に青葉城を築城いたしました。

 

そして、偶然か?はたまた、必然か?勘が良い方は、もうお分かりですよね。

 

そうです!その休息をとった場所こそが、

その後に、仙台東照宮が創建された場所だったのです!!!

 

そして、偶然? 仙台東照宮が鎮座なさっている場所は、ちょうど、仙台藩、青葉城の北東【鬼門】の位置にあたるのです。

その地に仙台東照宮が創建されたことにより、まさに徳川家康公が、仙台城下町の守り神として、仙台の鬼門封じとして、御鎮座しているのです。

私は、仙台東照宮の建立とは、徳川家に忠誠を示すだけではなく、呪術の上でも、最強の守護を得たことになったのでは、と考えております。

 

仙台東照宮 パワースポットの石鳥居・隋神門・唐門・本殿・透塀

そんな、偶然、必然、神々の思し召か?

いろいろなものが重なり、創建された、仙台東照宮。

私も、子供の頃から参拝させていただいております〜。

仙台東照宮のには、国の重要文化財に指定されたいる建築が、4つありますので、参拝の時は、歴史的建造物も、是非、しっかり見て下さいね。

 

①石鳥居

岡山県産の花崗岩で作られおり、国の重要文化財。宮城県でいちばん古い、石鳥居とされています。

仙台藩2代藩主伊達忠宗公の御正室で有らせられる振姫さまのご出身が岡山県に当たるそうで、岡山産花崗岩が選ばれた様です。

②随神門

参道を進むと、随神門があります。国の重要文化財に指定されております。

通常、随神門とは門を守る仁王像などが左右に配された門になりますが、仙台東照宮の随神門の守り神は、仁王像ではないので、参拝の際ご確認くださいませ。

③唐門

門の屋根に唐破風がついた門のことで、
仙台東照宮の唐門は、浮き彫られた鳳凰、麒麟、獅子の装飾は見事です。両側に続く透塀と合わせて国の重要文化財に指定されております。とても見事な装飾ですので参拝の際は必見です。

④本殿

唐門の奥にあるのが、神聖なる本殿です。こちらには、東照大権現様が祀られております。

国の重要文化財で、
鷹、天女、龍などの彫刻や、七宝技法を使った辻金具などで装飾されております。本殿内には、徳川家康の像が安置されているそうです。

 

仙台東照宮は、仙台の鬼門封じ!

スピリチュアル最強のパワースポットですよ。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

安陽都奈(アヒツナ)

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