榴岡天満宮は、仙台の有名なパワースポット!スピリチュアル神社の榴岡天満宮は謎だらけ… 榴岡天満宮のウソ?とは…
榴岡天満宮は、パワースポット!学問の神のウソ替え・ウソ神籤
杜の都の天神さま として知られている、仙台の榴岡天満宮
榴岡天満宮には、【ウソ替え神事】と言われる、不思議な名前の御神事が執り行われます。
ウソの御神事
ウソとは、【嘘】でもありますが
正確には、【嘘】ではありません。
仙台在住の方でも、どのくらいの方が知っているでしょうか?知る人ぞ知る、という様な御神事なのです。
実は、ウソ替え神事のウソとは、
【鷽】と書き、(ウソ)と読む小鳥の事です。
鷽替え神事は、の【鷽替え】とは、前年迄の災厄や凶事や、知らず知らずのうちに使ってしまった「嘘」を天神さまのご神徳により「真っ赤なうそ」に替えていただき、
新しい年が良い年になるりますように、と祈願する御神事。
鷽(うそ)の一刀彫が約300羽程用意され、その中の十数羽だけ「真っ赤な鷽」が入っているそうですよ。
幸運にも、真っ赤な鷽を受け取った方は、天神さまのご神徳により、最良の年になると言われています。
鷽替え神事限定で、お守り、御朱印も用意されており、
その中でも、【真っ赤な鷽みくじ】が、とても人気だそうです。
鷽替神事は、毎年、1月14日、25日に執り行われます。
是非、一度、鷽替シンジの穂にご参拝くださいませ。
私も、世の中の、厄災、凶事が、全て、真っ赤なウソになります様に、心から祈りたいと思います。
榴岡天満宮 パワースポットの歴史!ご利益多きうそ替えと学問の神
榴岡天満宮は、
仙台のお花見で有名なスポット、榴ヶ岡公園近くにご鎮座する神社です。
実は、歴史を調べてみると
平安時代の天延2年(974)に山城国(現、京都府)に御創建されたそうです。
私の調べでは、山城国に、榴岡天満宮として、創建されたのか?そのわけ御魂が、仙台の地に祀られたのか?詳しくは、わかりませんでした。
山城国から、平将春という方が
陸奥国宇多郡(現、福島県)、さらに移動
宮城県柴田郡に御遷座、その後、現在の榴岡天満宮ということになっている様ですね。
でも、実は、初めに、仙台に鎮座された場所は、現座の場所ではないのです。
その後、何度か遷宮しております。
わたしが思いますに、
そもそも、現座の榴岡天満宮の場所は、
仙台城築城の候補地であったことから、土地的には
とても良い土地であり、天満宮創建にかかわらず、いわゆるパワースポットであったと考えております。
土地に関しましては、六芒星の結界にも関わってきますので、詳しくは、後ほど!
神社の歴史には、俳人、松尾芭蕉さんも参拝されいる記録があるそうです。
その時に読まれた句も残されているそうですよ。
また、菅原道真公の直筆の書、奉納されており、大切にお祀りされている様です。
松尾芭蕉さんは、道中安全を祈ったのかなぁ?
何しに参拝されたのでしょうね?
私には、松尾芭蕉さんは、違う目的で奥の細道を回られた様に感じてしまいます…
榴岡天満宮 六芒星のパワースポットスポット!うそ替えと学問の神
榴岡天満宮は、前項でも少し触れましたが、
現在の地に御鎮座されるまで、何度か場所を変えております。
山城国(現、京都府)から、
陸奥国(現、福島県)へ
その後、宮城県柴田郡へ遷宮
その後、現、仙台市青葉区のとある場所に御遷座されました。
仙台に御遷座された、その場所、土地がとても興味深いのですが……
仙台に初めに御鎮座された場所とは、
前ブログで記載した、六芒星の一つでもある場所、それが現在【仙台東照宮】の鎮座されてる場所なのです!!
仙台東照宮を、その場所に建立された理由の一つは、
伊達政宗公に案内されて仙台入りした徳川家康公が、御休息のために立ち寄った場所であったという理由からでしたよね。
と言うことは…
榴岡天満宮は、天文20年、西暦1555年に仙台市青葉区の仙台東照宮の地に3度目の御遷座が行わております。
榴岡天満宮が、現在の場所にご遷座されたのが
寛文7年、西暦1667年の御遷座
伊達政宗公に、案内されて徳川家康公が、仙台の地でご休息なさった年は、天正19年、西暦1591年です。
年代から考察して行くと、
徳川家康公が、御休息なさった場所には、
【榴岡天満宮】が、御鎮座されていたことになります!!
だとしたら、
私が想像しますに、当時、警備などを考えると
徳川家康公がご休息なさったのは、広い草原などではなく、榴岡天満宮の境内でのご休憩であったかと考えられます。
榴岡天満宮のパワースポット伝説は、
菅原道真公の御神号【天満大自在天神】さまの御神徳のみならず、
徳川家康公の御神号【東照大権現】さまの
エネルギーも混在した御神徳を持っておられるのです!!!
後に、慶安3年、西暦1650年に
仙台東照宮建立に際し、その境内地東側に御遷座がなされました。
仙台東照宮が建立された当時は、東照宮より、ちょっとだけ、東にずれて、御鎮座されていたわけです。
そして、寛文7年、西暦1667年
仙台藩、三代藩主伊達綱宗公の御意志により、現在の榴ヶ岡の地に御遷座が行われました。
凄い数の御遷座をくりかえし、
現在の地に御遷座され、現在も六芒星の結界の一つとして、仙台の地を守護しております。
凄いです。
えっ………!
????
仙台の地を守る六芒星の結果を張ることの御意志は、
仙台藩初代藩主、伊達政宗公の御意志。
榴岡天満宮が、現座の場所に御遷座されたのは、仙台藩、第三代藩主伊達綱宗公の御代…
では、伊達政宗公が、六芒星の結界を張った当時、
その場所には、榴岡天満宮は、存在していません。
では、その場所の何に?要として、結界をはったのでしょうか???
また、
現在の仙台東照宮を要として張った結界、
伊達政宗公の時には、 仙台東照宮は、存在しておりません。
現在、ネットなどで、たまに見かける、
仙台六芒星結界のパワースポット巡りの間違いは、そこで言われている神社、仏閣、伊達政宗公の時代に、六芒星結界の要となっていたわけではないのです。
私は、その事をしっかりと理解しないと、本当の意味で仙台六芒星のパワーを受け取ることはできないと考えております。
現在の榴岡天満宮の場所にあったものとは?
その場所の結界は、何にはられたのか?
仙台東照宮をかなめとした結界、当時は存在していなかった?
その秘密は、また今度…
榴岡天満宮は、パワースポット!うそ替えと学問の神とは?ご利益は?
榴岡天満宮の神様といえは、言わずと知れた
天神さま!菅原道真公ですよね!
御祭神としての御神様号は、
【天満大自在天神】(てんまだいじざいてんじん)」なので、人々に「天神さま」呼ばれてます。
生前は、幼少の頃よりご神童といわれ、33歳出最高位の文章博士、さらにご出世を重ね、れ右大臣にまで任ぜられております。
書道の三聖(弘法大師、小野堂風としても、知られていますよね。
学問・詩歌・文筆にずば抜けて優れていたお方で、後に、学問の神として崇められるようになりました。
天満宮といえば、北は、北海道から、南は九州まで、ほぼ、全国的に御鎮座なさっている有名な神社ですよね。
受験生は、必ずお参りするくらい有名な神社なので、皆様も一度は、参拝されたことが有るのではないでしょうか?のではないでしょうか?
当然、私も、数多く御参拝せせていただいております。
【天満大自在天神】の御神徳といえば、有名なのが、なんと言っても
●学問の神様
道真公は子沢山だったことや、そのお子様もご出世なさったと言われており
●安産・子育て・子供の神様
遣唐使廃止令で人々を救った事や、左遷された太宰府まで、無事に到着されたことにより、
●交通安全・旅行安全・通学安全などの、道中安全の神
として、人々に崇敬されております。
でも、もう一つの顔もあります!
祟神・雷神(雷神を率いる神)という側面をあります。
都に災いが続き、宮中、清涼殿に落雷があり、殿上人に死傷者が出る惨事まで起きました。落雷時に、宮中、清涼殿におあしました、醍醐天皇は、その後、体調を崩され、落雷の3ヶ月後に崩御されました。その後も不幸に見舞われる都……
都に立て続けに起こる不幸、天皇の崩御は、太宰府に左遷され、失意のままお亡くなりになられた菅原道真公祟り神、怨霊となり引き起こしている!という事になり、菅原道真公の魂を鎮める祭りが執り行われ、最終的には、北野天満宮を建立して、菅原道真公の怨霊を鎮めたと言われています。
清涼殿落雷事件以来、雷神の顔を持つ菅原道真公
落雷よけに「クワバラ・クワバラ」と唱えるのは、菅原道真公の所領地であった桑原の名前を唱えると、落雷を避けることが出来ると信じられた事に由来する様です。
最近、聞かねくなりましたよね(笑)
私は、今度、使ってみようと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
安陽都奈(アヒツナ)
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