熊野神社 名取 ご利益授かりのパワースポット!熊野三社巡り

熊野神社と言えば、「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」を参拝する、和歌山県の熊野三社詣で知られています。宮城県の中央南部、名取市には、地理的にも、方角的にも、紀州熊野と同じ様に、熊野三社が祀られております。そのように祀られているのは、数ある熊野神社の中、全国で、名取市のみので、鎌倉時代には、東北の熊野信仰の中心地となったようです。では、なぜ、名取に、三社が祀られたのか?現在もパワースポットになっている訳とは?名取市の熊野三社詣の謎に迫ってみたいと思います。

熊野神社 名取 ご利益授かりのパワースポット!東北の熊野信仰

宮城県の中央南部に位置する名取市。

 

熊野三社が勧請され、地理的にも、方角的に紀州熊野と同じように祀られた、全国で唯一の名取市。

 

鎌倉時代には、東北の熊野信仰の中心地となり、現在も、多くの人が、熊野詣に訪れる

パワースポットなのです。

 

名取熊野三社は、仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に見立て、熊野本宮社・速玉大社・那智大社の三社をそれぞれ別に勧請しています。このように、紀伊熊野三山と地理的・方角的に同じく勧請しているのは全国でもここだけです。

名取市観光物産協会HPより

 

私も、参拝させていただくのですが、地理的なことは知りませんでした・・・

地理的にも同じにして、勧請するって、すごくないですか?

 

実は、東北地方は、熊野信仰が盛んな土地とも言えるのですよ!

 

なぜなら、

熊野にゆかりがある神社は、全国に3,135社あると言われており、

その、熊野ゆかりの神社のうち、東北地方には、736社の熊野神社があるとされています。

全国の熊野ゆかりの神社数の、約4分の1の熊野神社が、東北に祀られているのです。

 

そんな、熊野信仰が盛んな、東北地方の中でも、熊野信仰の中心地的な地は、

熊野三社が揃って鎮座なさる、名取市の「熊野三社」なのです。

 

 

そんな、東北の熊野信仰の中心地の、

名取熊野三社に関して、以下の様な伝承が伝わっておりますので、ご紹介させていただきます。

 

熊野信仰の熱心な信者だった名取老女は、年老いたために紀州熊野への参詣が叶わなくなっていた。同じころ熊野にある山伏が住んでいた。山伏が松島へ詣でようと準備をしていたところ、夢枕に熊野権現が現われて、東北に住む老女に伝えるようにと和歌を詠んだ。「道遠し 程もはるかに隔たれり 思ひおこせよ 我も忘れじ」という歌だったという。山伏が下向の途中いまの名取のあたりにさしかかると、確かに熊野権現のお告げのとおりの老女が住んでいた。老女は山伏から和歌を聞くといたく感激し、名取の地に紀伊熊野の分霊を勧請した。              Wikipedia 熊野三社名取より

 

名取熊野三社 建立の経緯は、すでにスピリチュアルに満ちたお話しになっておりますよね!

では、そんな、名取熊野三社、それぞれの神社に、深入りしていこうと思います。

 

熊野神社(新宮社)名取 ご利益授かりパワースポットの神楽・御祭神

 

東北の熊野信仰の中心地、宮城県名取市

紀州 熊野三社の世界を再現している、名取 熊野三社のうちの一社として、

熊野信仰の中心を担っている 熊野新宮社。

 

保安4年 西暦1123年の創建と言われております。

中世には、東北の熊野信仰の中心地として、名取熊野別当が置かれるほど、宗教的、軍事的にも大きな権力を持っていた様です。

中央の新宮社証誠殿には、速玉男尊(はやたまおのみこと)

東側の那智飛龍権現社には、事解男尊(ことさかおのみこと)

西側の本宮十二社権現社には伊弉冉尊(いざなぎのみこと)

名取老女宮には、名取老女と、神代文字(阿比留草文字)で「ククリヒメノオオカミ」と書かれた木札があり、祀られています。

 

私も、参拝させていただくことも多いのですが、上記しました、4柱の神の御神殿は、

もちろん御神域で、わたしたちは入れませんが、少し離れた場所から、拝む事ができます。

 

また、朔日(ついたち)は、拝殿の扉が開かれておりますので、お賽銭箱のところからの拝礼でも、御神鏡も拝めますので、なんか有り難みを感じますね。

 

 

私の疑問は、伊弉冉尊と、熊野の大神、二柱が祀られておりますが、

なぜ、名取老女と、菊理姫(の文字)が祀られたのでしょうか?

 

前項で上記しました、熊野三社の感情の理由は、名取老女によるものですが、

参考までに、別の記載を紹介いたします。

昔、名取に毎年、紀州熊野に参詣する巫女がいました。
年老いて参詣できなくなり、付近に小さな熊野三社を建てお参りしていました。
紀州熊野権現のお告げにより、旅の山伏が1枚の葉に導かれて、この巫女を訪れることに。
老女の信心深い行いからその徳が広がり、保安年間(1120年代)に今の熊野堂と吉田に熊野三社が勧請されたと伝えられています。

名取物産観光協会 HPより

 

私も含め、皆様も、疑問に思われているのでは?と思いますが、

 

毎年、熊野詣をする(していた)巫女様・・・・

名取に、熊野三社を勧請された、名取老女・・・

その、名取老女さんは、はたして、何者なのでしょうか?

 

また、お社に一緒に祀られている菊理姫は、

白山比咩大神 と同一視されていますので、同じ神と考えるとましょう。

 

熊野信仰している名取老女と、

白山信仰の象徴する神、白山比咩大神 こと、菊理姫・・・

 

白山信仰とは、

養老元年に発端を持ち、

鎌倉時代に、武家の信仰が厚かった・・・・・

 

新宮は、

別当も置かれた、所謂、神社とお寺が一緒にあった施設・・

 

私の勝手な推測ではありますが、

この地にも、

白山信仰されたお武家様の一族がお住まいになられ、

熊野信仰の修験者と、白山信仰の修験者さんが、

情報や、

何らかのやり取りなどのために交流していたのでは・・・・・

と、思ってしまいます。

 

という事は、

名取老女は、普通の巫女様ではなく、

やんごとなきお方で、この地に来られた、

しかも、シャーマン的な存在だったのではないでしょうかね・・・・

 

老女ではなく、老尉であった、とか?

宮仕えされていた、とか? いろいろな言い伝えもありますが、

 

私はあることをきっかけに仮説を立てたのですが、ここでは、明言は避けて、秘することといたします。

 

なぜなら、拝殿には、

八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉も祀られているのですから・・・

 

熊野本宮社 名取 ご利益授かりパワースポットの御祭神 ・本宮 十二神

 

名取熊野三社の一社、熊野本宮社

保安元年 西暦1120年の創建と伝わっております。

創建当時は、今より南西の場所に御鎮座されていた様ですが、万治元年 西暦1658年に、現在の地に遷宮された様です。

主祭神は、

熊野櫛御家都御子大神(けつみこのおおかみ)、

熊野牟須美大神(むすみおおかみ)とされています。

 

熊野本宮社 名取は、別名を、本宮十二神ともいうそうで、

実は、ご本殿の奥の御神域に、摂社が5の宮が祀られている様で、

紀州の熊野と同じように、十二神を祀っる形式なのでしょうね。

 

私は、ここの十二神様は、

(ご本殿に祀られている神とは別に5つの宮に祀られている神様が)

元々と言いますか、古い時代から、この土地に祀られていた神様なのかなあ?と、推測しております・・・

 

お宮(摂社)も、御神域ですので、

私たちは、こちらも立ち入ることはできませんので、

お宮(摂社)の概要を紹介させていただきますね。

 

【若殿】と言われるお宮に、大きな神さま2柱柱をお祀りしている様です。

【ニの御殿】と言われるお宮に、熊野の神2をお祀りしている様です。

【末の社】と言われるお宮には、天照皇大神の子孫神 4柱をお祀りしている様です。

【中の社】と言われるお宮には、養蚕・五穀豊穣の神1柱をお祀りしている様です。

【下の社】と言われる宮には、伊奘冉尊が火傷された時からお生まれになった3柱をお祀りしている様です。

 

祀られている、神の詳細に関しましては、

本宮社さまの方で、公表していらっしゃるのか解らないので、伏せさせていただきます。

 

上記しましたように、

ご本殿以外に、神12柱(12神)が祀られている様ですので、

古くは、【本宮十二神】と、言われているのだと思います。

 

その他、本宮社さまで、有名なものは!

山伏によって伝えられたという、

熊野堂十二神鹿踊りが保存継承されており、名取市無形民俗文化財に指定されている様です。

 

私も、未だ、鹿踊りを見学させていただいた事は無いのです・・・

春例祭(毎年4月)、秋例祭(毎年10月)にて披露されているようですので、

是非、見学させていただきたいと考えております!

 

熊野那智神社 名取 ご利益授かりパワースポットの歴史・ご祭神・那智の滝

 

名取 熊野三社の一社、熊野那智神社

創建には、伝説がありますので、ご紹介させていただきます。

 

伝説によると、養老3年(719)閖上浜の漁師が海底から御神体を引き上げたところ、その光の輝きの止まる所が高館山であったことから、そこに宮社を建て羽黒飛龍神として祀ったという。

一方「閖上」の地名の由来として、貞観13年(871)に霊験あらたかな十一面観音像が波に揺り上げられているのを漁師が見つけ、それが現在高舘山の那智神社に那智観音像として安置されている、という話も伝わっている。

その後、名取老女の熊野三神勧請にあたり、那智の分霊を当社に合祀し熊野那智神社と改称した。

Wikipedia 熊野那智神社(名取市)より

 

名取、熊野那智神社 私も、大好きな神社の一つなのです!!

 

漁師が引き上げた御神体から、輝く光は、高館山を照らしたのでしょうね。

その高館山に建立された、神社。

 

そこからの景色が、すごく良いのです〜、太平洋まで見渡せる、超絶景ですよ。

 

そしてその高館山には、前方後円墳があり、

平安時代には、それを利用して高館城という城を築かれていたようです。

 

文治5年 西暦1189の奥州合戦の時には、奥州藤原勢が立て籠もり、鎌倉勢を迎え撃った城として知られており、

戦国時代には、伊達家も居城した期間もあるよで、羽黒城という別名もあるようなのです。

伊達家が、羽黒城を居城としたのは、仙台藩 初代藩主 伊達政宗公の、曽祖父の時代です。

 

 

私は、

高館山とは、古代より、御神体としての山だったのだろうと思います。

仙台平野の古墳時代に造られた、前方後円墳としては、古い時期の前方後円古墳の様ですので、

古くは、縄文時代から人の定住があったはずで、時を経て、古墳文化がやってきたて、その御神体の山に、宗教的な意味もあり、古墳がつくられたのだと思います。

 

話は、名取 熊野那智神社に戻ります。

 

名取 熊野那智神社のご祭神は、

第一主神
羽黒飛龍大神(ハグロヒリュウノオオカミ)

第二主神
熊野夫須美大神(クマノムスビノオオカミ)
黄泉事解男命(ヨモツコトサカオノミコト)
速玉神(ハヤタマノカミ)
家都御子神(ケツミコノカミ)
大穴牟遅神(オオナムチノカミ)
天照皇大神(アマテラスオオミカミ)

その他、合祀された神社の石碑群なども祀られています。

 

私は、いつも本殿以外にも、当然、石碑群にも参拝させていただきますよ。

 

また、

実は、名取 熊野那智神社の社殿の背後は、

なんと、谷になっており、階段を降りると、小さな滝に行く事ができます!

 

その、名取の那智滝には、

「滝沢不動尊」というお不動さまと、

飛龍神社が祀られております。

 

私は、参拝の際は、階段を降りて、こちらも、お参りさせていただいております。

 

名取の那智滝は、紀州の那智滝とは、大きさは違いますが、紀州熊野の那智山に似ているようで、

以前は、名取の那智滝では、滝行も行われていた様ですよ。

 

私は、滝でご参拝をすると、

やはり、羽黒飛龍大神の存在を考えてしまうのです。

 

那智神社を興したきっかけとなった、羽黒飛龍大神。

 

私の勝手な想像なのですが、

羽黒とは、山形県 出羽国の羽黒なのでしょう・・・・

そして、出羽国といえば、出羽三山!

 

その一つ、羽黒山を開山されたのは、

崇峻天皇の第三皇子の蜂子皇子と伝わります。

 

蜂子皇子は、諸々あり、京を離れ(現)鶴岡市の海岸にたどり着いたとされます。

その後、出羽山に導かれるのですが、

 

蜂子皇子を導いたのは、海岸から飛んできた、三本足の烏と言われています・・・・

 

紀州熊野の神の使いは、八咫烏と言われておりまよね・・・・

神武帝が道に迷われた時に、奈良まで案内したのも八咫烏・・・

蜂子皇子が案内されたのは、3本足のカラスとしか記されてない様です・・・

ということは、ある一族が関係しているのではないでしょうか?

ここでは、このお話は、これ以上踏み込まないでおきましょう。

 

紀州熊野、八咫烏、羽黒山と蜂子皇子、またその神々に関する事と、

名取 熊野三社(名取 熊野那智神社)に起きた出来事との関係性に関しましては、

秘することとさせていただきますね。

 

話しは戻り、史実をたどりましょう。

蜂子皇子は、舒明13年 西暦641年に羽黒でお亡くなりになっています(諸説あります)。

名取の閖上浜で、漁師が御神体を引き上げたのが、養老3年 西暦719年

蜂子皇子がお亡くなりになられて、約80年後のことです・・・

 

私も、ブログで書かせていただきましたが、

その頃、東北の地に、大和朝廷の施設、官衙(かんが)などができ始めた頃で、

多賀城が陸奥国府として置かれましたのが、神亀元年 西暦724年

陸奥国分寺が、天平13年 西暦741年建立ですよね。

 

東北の地に、多所からの人が、大勢入植してきた時代、土着の人々には新たな文化と交流があり、

また、東北の神々も、大きく様子を変えていった時代なのですよね。

 

さらに、時代が移り変わり、

鎌倉時代、戦国時代にも、

常に、

東北の地には、中央から入植する人々や、それに伴い、信仰される神々、

もともと住んでいる土着の人々の文化とが、交流を繰り返し、時には争い、和合してきました。

その中で、古いものと、新しいものが交わり、また新たな文化を生み出す。

その時代の激動の中、しっかりと、地に根付いて文化を育み、人々の信仰の中心となったのが、

名取 熊野三社なのでは無いでしょうか?

 

宮城県名取市に御鎮座する、名取 熊野三社は、

そんな歴史の荒波の中で生まれて、東北の熊野信仰の中心とまでなった神社なのです。

 

現在も、土地の方々の信仰厚く、パワースポットとして多くの人が訪れる神社。

 

名取 熊野三社

皆様も、名取 熊野三社巡りをして、歴史を感じながら、霊験あらたかな、神々のご神徳を賜ってみてください。

 

最後まで読んでくださり有難うございました。

安陽都奈(あひつな)

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