蛸薬師 仙台長町には、舞台八幡神社も鎮座!長町のお祭り・初詣・どんと祭

仙台の中心地の南、太白区長町。江戸時代に、奥州街道の交通の要所、宿場として栄えた街の片隅に、蛸薬師如来を祀った、薬師堂と、八幡の大神を祀った、舞台八幡神社が、御鎮座されております。古い歴史のあるまちの、薬師堂と、八幡神社は、霊験あらたかな神様仏様として、今でも多くの人が参拝に訪れる、知る人ぞ知る、仙台南のパワースポット。その歴史と謎に迫ってみたいと思います。

蛸薬師 仙台と言ったら、長町の蛸薬師如来!淵上蛸薬師瑠璃光如来

仙台市の南、太白区長町に、

蛸薬師さん、と言われ親しまれている、薬師如来堂があります。

 

長町というところは、江戸から続く宿場町、奥州街道の交通の要所で、歴史ある街なのです、

その交通の要の一つ、旧街道の秋保街道(二口街道)近くの一角に、八幡神社と並んで、蛸薬師さんが祀られています。

 

正式名称は、淵上蛸薬師瑠璃光如来(ふちがみ たこやくし るりこう にょらい)

と言います。

 

私は、よく参拝させていただく、大切な場所なのですが、

蛸薬師さんの由来・伝承がいくつかあって、とても興味深いので、私なりに、要約して紹介させていただきますね。

 

境内の立て札によれば、

①建武元年 西暦1334年、権中納言藤原朝臣籘房が北山の巌蔵に入り僧となり、京都西洞院の蛸薬師如来に祈願をかけ、投獄修行の際、仏像を勧請して、奥州名取郡平岡二つ沢 下流淵上に堂宇を造営し、淵上蛸薬師如来と尊崇して、村人を護らしめた。

と書かれています。

 

また、別の言い伝えでは、

②昔、洪水があった時、長町に古くから開業している味噌醤油を製造位しているお店の裏池に、薬師様にタコが吸い付いている仏像が流れ着いてきて、それを祀った。

 

また別ぼ言い伝えでは、

③昔、若い娘が手首から手の甲にかけて疣(いぼ)が出て悩んでおり、旅の僧に相談したところ、蛸薬師さんに願掛けをするように勧められた。願掛けの甲斐あって、疣が治った娘さんは、お礼に蛸の絵馬と、蛸の好物?である豆をお供えして、お礼参りをした。この事が、世間に広がり土地の人々の信仰を集めた。

耳を患ったときは、穴のあいた「カラワケ」の小皿をつないで供えるとご利益があるといわれています。

 

3つとも違う話なのですが、同じ蛸薬師さんにまつわるお話なのです・・・面白く無いですか?

 

そんな、仙台 長町の蛸薬師さんは、先ほどの疣のお話しもありますが、

その他にもたくさんのご利益がある様ですので、ご紹介させていただきますね。

 

①イボの治癒 ②難聴改善 ③家内安全 ④津波よけ

と、されている様です。

 

薬師如来様の一般的なご利益には、「目」もございますので、それを含めると

目、耳、イボ、家内安全、津波よけ・・・ ですよね。

 

何かの神様と、共通するものを感じてしまいます・・・

蛸薬師 仙台長町のどんと祭!仙台新春の風物詩は、どんと祭!

 

仙台 宮城の新春の風物詩といえば、小正月に行う、どんと祭です。

 

どんと祭は、

1月14日に、お正月に飾った、松飾や、お札を氏神様や、お寺に持っていってお焚き上げをする行事です。

 

私も、もちろん毎年、外した正月飾りを持って、氏神様にお参りに行きますよ!

 

近県でも、地域により、日にちは異なりますが、多くの地域で行っている行事で、その日は、神社、お寺は、大勢の人が訪れ、大変な賑わいを見せます。

 

どんと祭は、お焚き上げをしている火、御神火にあたると、

一年間、風邪をひかないと言われており、その他、家内安全、無病息災、商売繁盛を祈ります。

 

長町の蛸薬師山のどんと祭では、ふんどし一丁でお参りをする、裸参りの風習があるようで、

地元の商店街青年部が中心になり小学生・大学生など寒さに耐えながら、街を練り歩き地元の蛸薬師(舞台八幡神社)・十八夜観音を参拝するそうですよ。

 

とても寒い日に、ふんどし一丁姿の裸参りは、参加される方はもちろん、

それを見守るだけでも、ご利益を授かれると思いますよ!

ぜひ、どんと祭の日に、ご参拝くださいませ。 寒くても、一見の価値は、十分にありますよ!

 

蛸薬師は、仙台以外にも!宮城の地には、蛸薬師が祀られています

 

蛸薬師さんは、

仙台長町以外にも、全国、各地で祀られている所が多くあります。

 

京都や、東京の蛸薬師山が、

有名ですが、その他にも、愛媛、千葉、神奈川、福井、兵庫、静岡、埼玉、栃木、岩手、山形などに伝承が残っている様です。

 

蛸薬師さんの由来は、地方によって様々な様ですが、

おおよそ共通するご利益も多くあり、眼病平癒、吹き出物・イボの平癒が多く見られる様です。

 

私は、全ての蛸薬師さんを知っているわけでは無いのですが、

ここ宮城には、仙台 長町の蛸薬師さん以外にも祀られているところがございます。

 

過去に、地元のテレビでも取り上げられた様なのですが、

宮城県の北部、大崎市古川に、蛸薬師を祀っている、石碑がございます。

 

ここ古川の蛸薬師さんは、

ミズイボ が治してくださる神様として、人々の信仰を集めてきたそうで、

ミズイボが治れば、茹でた蛸をお供えして、神様にお礼参りをする習慣がある様です。

 

私は、蛸薬師さんへのお礼に、茹でたこをお供って?とても興味深い話だと思っています・・・

こちらの蛸薬師さんの謂れがよくわからないのですが、

蛸の吸盤から、イボを想像させる、という事が多くのいわれることの様ですが、

蛸自体は、吸盤(イボ)が絶対必要の生き物ですよね・・・

蛸の薬師様にお願いして、いぼを治す?って理屈に合わない様に思えます・・・

 

私は、以前に、自身のブログでも書きましたが、

古く信仰されていた神様が、仏教の広がりによって、病気平癒の神様が、薬師如来様に置き換わったのが実際のところでは無いでしょうか?

 

古代東北の民は、●霊験は、水イボの神、目耳鼻の神、諸願成就の神として、

古代縄文から続く、ある神様を信仰していたのですから・・・

 

 

事実はともあれ、

蛸薬師さんは、昔も今も変わる事なく、霊験あらたかなことで、人々の信仰が厚い神様(仏様)です。

私も大好きな神様です!

ご利益を授かりたい方、病気平癒を望まれる方は、一度、ご参拝くださいませ。

 

舞台八幡神社 仙台、長町にご遷座された理由

 

江戸時代から続く、奥州街道の交通の要所、宿場で栄えた街、長町に祀られた蛸薬師さん

その境内に、

明治23年に、ご遷座してきた歴史を持つ、舞台八幡神社。

 

 

八幡の大神が祀られ、現在も、近隣人々のみならず遠方の方々からの崇敬も厚い舞台八幡神社は、

蛸薬師堂が祀られた地に、来るべくして来る、まるで長町に呼ばれたかの様に、ご遷座をされます。

 

そんな、舞台八幡神社のご遷座の理由が、

神社境内の看板に書かれておりますので、紹介させていただきますね。

 

後冷泉天皇の時代 天喜4年(1057)に陸奥国で乱が起こり、陸奥守鎮守府将軍・源頼義が勅命を受け、出発の際、河内国平岡(枚岡、現在の東大阪市内)の平岡八幡宮を勧請し、奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉りその所在地を平岡村と称し、ここを本営として武運長久のため誓願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡村舞台八幡宮とし尊崇敬した。
永禄2年(1560)に、北目城主粟野氏が再興し、明治5年(1872)に村社となる。その後二度火災にあったが明治23年(1888)長町西浦の蛸薬師堂境内に再建され、昭和14年照研稲荷神社の社殿などの寄進があり、本殿を奉遷し両神社を合祀し、拝殿の御造営を成し遂げる。

舞臺八幡神社 境内看板より

 

東北に住む、私にとっては、

「 陸奥国で乱が起こり 」とは、いつも違和感を感じてしまうのです・・・・・

勝ち組の、源氏側から見た、記載なのですよね〜。

 

天喜4年は、

奥州 安倍家の頭領、頼時公が亡くなったと言われる年です。

 

その年は、奥州 安倍家が、源氏に敗れた

いわゆる、前九年・後三年の役の最中なのです。

 

東北には、源氏が祀った、と、伝えられる御由緒を持つ神社が多いのですよね・・・

歴史が塗り替えられるのです。

時代を遡ると、坂上田村麻呂将軍起源の神社も多くありますよね。

事実は、少し違う様に感じていますが・・・

 

 

看板によると、

源頼義が、平岡八幡宮を、名取の地に勧請し、その後、約500年後、

北目城城主 粟野宇治により再興され、明治期に2度の火災にあい、明治23年に、仙台 長町に遷座され、現在に至るのですね。

 

長町の地に、ご遷座されることがご神意であったのでしょうね、

長町の地で、

お祭り、初詣、どんと祭と、多くの人で賑わい、崇敬厚い地域の人々の中心となっており

地域の人々には、なくてはならない神社になっておりますよね。

 

舞台八幡神社 仙台長町の初詣・お祭りは、多くの人で賑わいます

後冷泉天皇の御代に縁起を持つ、舞台八幡神社

明治23年に、長町に遷宮されて、なお、厚く信仰を集めた八幡神社です。

 

御祭神は、足仲彦尊、気長足姫尊、誉田別尊、武内宿禰

と、境内看板に記載されております。

 

仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・武内宿禰 様となっております。

 

八幡の大神は、歴史的に変化したり、変説もあるのですが、

舞台八幡神社に祀られている神様は、

三韓征伐をされたお御代、御当事者である神々が祀られております。

 

私は、今回、三韓征伐について、詳細は割愛いたしますが、

三韓征伐により、いかに後世、日本の国体を維持できたかというのは、

歴史が証明しておりますので、三韓征伐のを決意されたきっかけのご神託は正しかったのですね!

戦後、学校の歴史では触れない部分ですね・・・

 

余談はさておき、

長町の表通りから、一本奥に入った場所に鎮座されたいる、舞台八幡神社・蛸薬師さんなのですが、

地域の方々、近隣の方々からは、特に厚い崇敬を持たれておりますので、

初詣や、お祭りどんと際の時は、驚くほど、多くの人で賑わい舞いますよ。

 

私は、流行り病の時から、舞台八幡神社・蛸薬師さんの初詣には、参拝できていないのですが、

境内に、茅の輪が設けられているようですよ!

 

茅の輪潜りは、夏越の祓いのイメージがございますが、ここ舞台八幡神社・蛸薬師さんでは、

正月にも、茅の輪が出ているのは、少し珍しいのでは無いでしょうか?

茅の輪は、素戔嗚尊が由来とされております。

舞台八幡神社には、「比良岐大明神」という摂社が御鎮座なさっておりまして、

比良岐大明神の御祭神が、「須佐之男命」と、されておりますので、

正月の茅の輪潜りは、比良岐大明神のご由来から、行っているのかも知れませんね。

比良岐大明神のご由来は、「尾州 津島天王より勧請」とされておりますので、

愛知県 津島市の 津島神社からの勧請なのでしょうね。

 

その他、境内には、石碑なども多く祀られており、とても歴史を感じる神社と御堂であり、

現在も、同じ境内に、神仏合祀の姿を残すのは、珍しいのでは無いでしょうか?

 

仙台の南、街の少し外れに、地元地域の人々、近隣の町に住む方々、県内外から

多くの人が参拝に訪れる、舞台八幡神社・淵上蛸薬師瑠璃光如来(蛸薬師さん)

その御神徳により、長町近郊の守護をくださり、霊験あらたかな、神仏が御鎮座されている

舞台八幡神社・淵上蛸薬師瑠璃光如来(蛸薬師さん)。

 

普段も、参拝客が絶えることないのですが、

私は、特に、正月初詣、小正月のどんと祭、春のお祭り、とても多くの人で賑わうので大好きです。

屋台も出て、町中が、とても楽しい雰囲気に包まれます。

だるま販売、名物おそばの屋台もいいですよ!

 

なんとなく気になる感じを受ける方は、是非、一度、ご参拝くださいませ。

きっと導き、引き寄せが起きるはずですよ。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

安陽都奈(アヒツナ)

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