卯年の守り本尊、文殊菩薩を祀るお寺!仙台 鷲巣山 文殊堂

文殊菩薩は、知識・知恵を司る菩薩さまで干支の守り本尊でもあります。そんな文殊菩薩さまは、 仙台の地でも、重要なお役目を持たれております。人々の信仰を集める文殊菩薩さまと、仙台の関係を紐解いていきたいと思います。

卯年の守本尊 文殊菩薩は、どんな神様?実在したの?

 

文殊菩薩さまは、「三人寄れば文殊の知恵」という、ことわざで有名な菩薩さまですよね。

 

正式名称を、【文殊師利菩薩】(もんじゅしりぼさつ)といいまして、

またの名を、妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)ともいいます。

智慧で人々を悟りへ導く菩薩さまとしてしれれておりますが、慈善事業を司るほか、慈母供養の象徴としての一面も有るそうです。

 

私も、大好きな菩薩さまの一仏です!

なぜなら、「釈迦三尊」像として、

お釈迦さまの、左脇侍(向かって右側)として祀られることが多いからです。

獅子に乗っているお姿がメジャーですね。

もちろん、単体で、ご本尊さまとなっていることも多い、菩薩さまです。

 

 

そして、文殊菩薩さまは、 –実在した–

といいますか、

モデルになった方がいらっしゃるようです。

 

『文殊師利般涅槃経』というお経には、

中天竺は舎衛国(しゃえこく)の多羅村にいる梵徳という、婆羅門の子としてお生まれになった方のようです。

 

私なりの解釈ですと

婆羅門(バラモン)は、インドカーストの頂点、司祭階級、いわゆる、ええとこの子。

お生まれになった徳は、

そのお家や門も蓮華に包まれ、10もの吉兆が現れた、と言われているようです。

お釈迦さまは、王族で、同じく階層の高いお家柄。

 

現在の日本にいると、とても」想像しにくいのですが、

当時インド近郊は、貧富の差がはげしく、貧しい階層の人々は、想像を絶する貧しさなはずです。

時代的は、戦も耐えなく、人々の心も荒んでいました。

 

そんな中、高い階(バラモンや王族)から、出家をする!

とご決意は、並大抵の覚悟でもできませんし、並大抵の苦労では有りませんし、命懸けです。

 

お釈迦さまは、乞食(こつじき)と、自らおっしゃいました。

全てを捨てて、何も持たない、食べ物さえ、人に乞う身分、最下層の生活に身をおいて、修行をされたのです。

 

高いカーストに生まれた!というのは、決して喜ばしい事だけではなく、

カーストの、 その差を、 高きから低きまで、自ら体験しても、尚、悟りを求めるのか?

という、高いハードルを、生まれた時から設けられた、

というふうに、私には、思えるのです。

 

文献では、お釈迦さまのお弟子さまで、お釈迦さまの代理りを務めたこともある、

文殊菩薩さま。

大いなる尊敬と、只々、頭が下がりますね。

 

卯年の守本尊!文殊菩薩 仙台と言えば、鷲巣山 文殊堂

 

文殊菩薩さまは、

前項で記載したとおり、知恵の神様であり、慈善事業、慈母供養の象徴度もありますよね。

 

もう一つのお顔が、

干支の守本尊、卯年の守護仏として、開運厄除などのお力添えをくださっているのです。

 

 

私は、前ブログでも書きましたが、仙台城下では、干支の守り本尊を祀る、

8ヶ所の寺社が全て揃っており、

十二支で、八体仏の守り本尊さまが、仙台城下の守りの結界となっているのです。

 

仙台で、卯年の守本尊の文殊菩薩さまといえば、

 

現 仙台市青葉区八幡に鎮座しております。【 鷲巣山 文殊堂 】となります。

 

鷲巣山 文殊堂(じゅそうざん もんじゅどう)は、

 

慶長8年 西暦1603年に、相馬の修験者であった嶺八兵衛さんが、

仙台藩 初代藩主 政宗公より、鷲巣山一帯を拝領して、開山したのが始まりと言われております。

 

お祀りしている、文殊菩薩像は、お堂の下、現・広瀬川の賢淵と言うところで、発見し、その像は、最澄作との言い伝えもありますよ。

 

私の邪推ですが、

八兵衛さんは、所領地を与えられ、伊達家の家臣となったようです。

八兵衛さんは、

修験ということもあり、街道の警備、監視、情報収集のお役目もあったのでは?と、思われます・・

 

文殊菩薩を祀る寺院 山形と仙台・伊達政宗公との関係?

文殊菩薩さまは

干支の守本尊、卯年の守護仏として、現在も、人々の信仰をあつめております。

 

そんな、

【 文殊菩薩 】さまと、

仙台藩 初代藩主 【 伊達政宗公 】は、浅からぬ関係がございます。

 

伊達政宗公は、

永禄10年 西暦1567年 8月3日(旧暦)、出羽国、米沢城でお生まれになりました。

 

ですので、政宗公の生まれ年が、【 卯年 】となる様です。

 

政宗公は、文殊菩薩さまのご守護を受けら、ご生誕されたのです。

 

私は、仙台で、文殊菩薩をお祀りしている、

【 鷲巣山 文殊堂 】は、慶長8年 西暦1603年に創建となっており、

仙台の総鎮守【 大崎八幡宮 】の創建が、慶長12年 西暦1607年という史実から、

卯年の政宗公が、

仙台開府の際、いち早く、文殊菩薩さまを祀るお堂の地の所領を家臣に許し、創建を支持したことは一側面ではありますが、納得できる事だと思います。

 

文殊菩薩の守護を受けてご生誕された、政宗公

天正19年 西暦1591年、いわゆる戦国時代のこと、政宗公、岩出山城転封にともない、

日本三文殊(にほん さんもんじゅ)で知られる、

現 山形県の【 大聖寺 】(だいしょうじ)、通称 亀岡文殊(かめおかもんじゅ)に、

古い鐘を寄進されています。

 

 

私は、その鐘の製造年を知った時に正直、驚きました〜。

なんと、永仁4年 西暦1296年に鋳造の鐘で、政宗公の御生誕の地、米沢の資福寺というお寺にあった鐘のようです。

鎌倉後期作の鐘、政宗公が寄進した時点でも、約300年を経た歴史ある鐘なのです。

資福寺は、政宗公と共に岩出山に移されましたので、

歴史的価値ある、その鐘を、文殊菩薩さまの祀られている、大聖寺に寄進したという史実は

やはり、政宗公と文殊菩薩さまの、浅からぬご縁を感じてしまいますよね。

 

文殊菩薩を祀る!仙台 鷲巣山 文殊堂は、パワースポット

 

仙台で、文殊菩薩さまといえば、

 

繰り返しになりますが・・有名なのは、

鷲巣山 文殊堂(じゅそうざん もんじゅどう)ですよね。

 

鷲巣山 文殊堂は、仙台開府間もなく創建されており、

政宗公は勿論のこと、政宗公以降も伊達家の厚い崇敬と庇護を受けていた様です。

 

私は、

それは、政宗公が卯年であることも理由の一つであると思いますが、仙台城下の守りの要としての

お役目があったからだと思います。

 

十二支の守り本尊としての、スピリチュアル的なガードのお役目と、

街道の護り、物質的なガード、

そして、

諜報活動の諸点の一つでもあったのでは?と邪推してしまいます。

 

そして、現在、鷲巣山 文殊堂の本堂の屋根には、

逆立ちしているウサギの焼き物、【波うさぎ】が飾られています。

 

波うさぎ

文殊堂の屋根の上には、逆立ちしたウサギの焼き物が一対あります。

波うさぎと呼ばれ、波に見立てた瓦を渡るウサギです。

うさぎは月と関係が深く、中国の陰陽五行説では、火は太陽、月は水を表します。

そこから、ウサギは水とゆかりのある動物とされ、屋根に上げて火伏せを願いました。

ウサギが、逆立ちしている姿に「うだつ」を重ね、「うだつが上がる」の願いを込められて

いるとの説もあります。

文殊堂内の説明より

 

瓦を、波に見立て、ウサギが逆立ちして波を渡る、

ウサギが逆立ちして、卯立つ→うだつ、 うだつ は、火事の延焼を防ぐ壁ですから、

瓦の波も、卯立ちも、どちらも 水のエネルギーによる、火伏せですよね。

 

 

そして、現在の、鷲巣山 文殊堂には、

【文殊菩薩堂の鷲巣山三十三観音】が祀られております。

鷲巣山三十三観音は、鷲巣山開山、400年を記念して、三十三観音像が作られたそうです。

 

仄聞ではありますが、

石仏師の嶺岸信氏が、2年の歳月をかけて製作されたとのことで、一体製作ごとに、滝で身を清め、

全身全霊を打ち込み込み、製作されたとのお話しが残っております。

 

鷲巣山 文殊堂さま、一箇所で、三十三観音参りができる、

そんな場所が、仙台の街には、あるっていうのが凄くないですか?

 

十二支の守本尊、火伏せのうさぎ、三十三観音参り、

そして、ご本尊の文殊菩薩の御利益、御加護により、仙台城下、街を、護り続けている

鷲巣山 文殊堂さんは、スピリチュアルパワースポットとして、現在も、人々のお参りが絶える事がありません。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

安陽都奈(あひつな)

コメント

タイトルとURLをコピーしました