大日如来 仙台と言えば、柳町 大日如来 未申の守り本尊!

大日如来 仙台は、仙台の城下の護る、十二支守り本尊の一つ。伊達政宗公が仙台藩開府にゆかりのある物を埋めて、大日如来様を祀っています。仙台の護りの要である、スピリチュアルパワースポット 大日如来 仙台の秘密に迫ってみたいと思います。

大日如来 仙台 柳町の神様は、どんな神様?ご利益は?

大日如来さまは、

全国各地に、お祀りされておりますので、

皆さんも一度は、聞いたことがあるかもしれませんね。

 

まずは、

大日如来さまは、どんなご性格の神様なのか、理解することから始めたいと思います。

 

大日如来さまの、「如来」(ニョライ)というお名前がつくことからも、  なんとなく、仏教に関係する仏様かな?ってことはご理解できるかと思います。

 

もともと、お釈迦さまの原始仏教という性質ではなく、お釈迦さま入滅後に、インド周辺で生まれた、大乗仏教、密教の仏様です。

チベットや、中国大陸などを経て、高僧により日本にも、密教の思想が持ち込まれた言われています。

私も大好きな、空海さん、最澄さんが、密教を日本に広めました。

 

大日如来さまの御性格を、私なりの解釈で、簡単に言いますと

【宇宙そのもの】です。

大日如来さまは、いわば、ゼロ時点、スタート地点であり、他の如来さま、仏さまはもとより、地球や、わたしたちや動物も、大日如来さまの御存在により、生まれている!

密教の教えでは、そういうことになります。

 

その御性格は、知恵を表す「金剛界」と、慈悲を表す「胎蔵界」の二面で一つとされています。

コインの裏表のような関係ですかね。

 

民間信仰でも、太陽を拝み手を合わせることから、日輪信仰や、神仏混合の考え方では、神として、「天照大御神」とされることもありますよ。

 

大日如来さまのご利益は?

大日如来さまを、ネットなどで調べると、ご利益が書き込まれていることもありますが……

私も含めて、よくよく考えていただくと

そもそも、大日如来さまは、宇宙そのものであり、根源という御性格をもっていらっしゃるので、宇宙があり、太陽があり、地球があり、ブッタも生まれ、各仏様、菩薩さまがお生まれになって、わたしたちも生まれている、ということで、産まれたということだけでも、すでに沢山の恩恵を受けて、ご利益を授かっているのです。

 

のちに詳しく書きますが、

守り本尊ということでは、産まれた年によっては、大日如来さまより、特に強い御守護をいただいている方もいらっしゃるのですよ。

 

大日如来 仙台といえば、柳町!大日如来堂の歴史 ①

 

青葉区柳町に、御鎮座されています、「柳町 大日如来」さま

正式名称は、「柳生山 教楽院 大日如来堂」と言います。

 

大日如来さまが御鎮座れている柳町は、その街の成り立ちが特殊なので、  私は、とても興味を持っております。

街の成り立ちと、大日如来堂ができた背景・歴史を紐解いてみたいと思います。

大日如来 仙台【柳生山 教楽院 大日如来堂】は、

仙台藩初代藩主 伊達政宗公 仙台開府の折、城下都市計画にあたり、町割りに使用した縄の一部を、この地に集めて焼いたと言われております。

その焼いた際に出た、縄の灰を地面に埋めて、その上に御堂を建て、大日如来様を安置したと、言い伝えられています。

 

私の調べでは、創建は、あまりはっきりしないのですが、仙台城、仙台城下の造営は、

慶長6年 西暦1601年ですので、同じ頃ということになると思います。

 

目的としましては、

当然、城下の守護のために大日如来さまがが祀られたと思うのですが、別の意味もあるのだと思います。

 

また、

大日如来堂に隣接して、

別当寺 柳生山 教楽院があったのだと推測いたします。

 

私が気になるのは、

当時、その周辺に、まち機能が、ない状態での、大日如来堂と別当寺の建立。

縄張りに使った、縄を埋めたのは、大日如来堂だけではありませんので、

その縄自体も、数箇所に埋めて、お焚き上げをしながら祈祷などをして、呪術的に、城下の結界としたのでは無いかと……       思っています。

 

ですので、

この場所に、大日如来堂の建立以前に、

古代、または、過去に、何か別の神を祀っていた、スピリチュアル的にパワースポットであった場所に、大日如来堂を建立した?

また、

別当寺建立も、宗教的な意味意外に、何か、違う目的があったのでは?と、推測されます。

そこら辺を次章では、深掘りしたいと思います。

 

大日如来 仙台と言えば、柳町!歴史 ②  伊達政宗公の関係

 

前章では、建立の時期について書きましたので、

今回は、

前章に続いて、街の成り立ちに関して深掘りしていきたいと思います。

 

現在、大日如来堂がある、柳町という町なのですが、

実は、伊達政宗公と、深い深いご縁があるようなのです。

 

仙台には、今でも、政宗公の御時代のままの名称が残る町が沢山ございます。

その中で、【ご譜代町】と呼ばれる、

特殊な性格の町が 「6つ」 ほど御座います。

 

「大町」「立町」「南町」「立町」「柳町」「荒町」という町なのですが、

この町の人達は、

伊達政宗公に従い、【米沢 →  岩出山 → 仙台】と

移ってきたと言われている 「町人町」 のようです。

譜代町は、城下の中心に、仙台城近くに配置されたようで、

後に、

柳町は現在、大日如来堂がある土地に移動、他に、新町も移動したようです。

 

私は、

政宗公が、所領地を変える度に、町の機能と人々が移り住んだ、

ということを考えますと……

 

伊達家、または政宗公より、

何か特殊なお役目を授かっていたのでは?  と、思ってしまいます。

御譜代町は、町人町の序列も高く、藩より、

専売特権を与えられていたという事実から、

譜代町には、何か、特殊な事情があったとしか思えませんよね。

ちなみに、柳町は、「茶」の専売特権を持っていたそうです。

 

仙台城下は、武家屋敷、町人屋敷、寺社地に分類されており

仙台城下では、片平丁、一番丁、というように

「丁」(チョウ)は、武家屋敷

柳町、南町、というように、「町」(マチ)は町人屋敷

という様に分けられております。

 

御譜代町は、

身分は、町人であっても、

伊達政宗公と、深い深いご縁があり、深い絆で結ばれていたのでしょうね。

 

次章では、もう少し、深掘りしていきたいと思います。

 

大日如来 仙台の柳町は、寺院町で防衛都市を形成?!

 

大日如来 仙台、柳町 大日如来の、大日如来堂が建立されている場所、柳町は、

江戸時代 御譜代町 といわれる、特殊な性格を持った町で、

当時、仙台に6つあった、町人まちの中の、一つです。

 

御譜代町は、

伊達政宗公の、所領地が移るごとに、まるで、政宗公をサポートするかのように、町ごと移転をして、政宗公にお供をしてきた町ようです。

 

私は、この章でも、政宗公と深い絆、信頼関係で結ばれた、御譜代町の一つ、

柳町の町人たちを、もう少しだけ、深掘りしていこうと思います。

 

御譜代町は、

仙台城が開かれて当初は、仙台城の近くに街を開いていており、

後に、柳町と新町が、

商売上や、利便性の理由から別の土地に移動したようです。

私は、移転の理由を表面上、そのようなにしている?のだと、

思います。

 

柳町が現在の地に移転したのが、寛永4〜5年 西暦1627〜28年頃となったおります。

その年は、仙台城とは別に、政宗公の隠居屋敷として、若林城が造られた年にあたるのです。

対外的には、隠居屋敷といわれていますが、実際は、防御性のある、立派な、平城です。

若林城のある、その地は、

古墳時代から集落があり、平安時代になっても、なお、集落が続いている豊かな土地で、

前方後円墳、円墳などが存在するいわゆる、パワースポット。

 

戦国時代には、国分氏により、すでに、城が築かれており、街も形成れていたようです。

(若林城に関してもパワースポットとして。とても面白いので、別枠でブログ掲載いたします)

 

若林城の完成により、仙台城下も、人の流れ、経済の流れが、変わりますので、

柳町の移転は、ひと、経済の流れに伴い、商売上の理由であるとされておりますが、

が……

私は、御譜代町の機能そのものの変化ではないか?と、思っております。

 

なぜなら、

戦国時代から、

御譜代町の機能とは、民兵のような組織だったと思われるからなのです。

普段は、町人身分であるが、

伊達家に、一朝事あらば、槍刀を取って、戦う町人組織となっていたようなのです。

実際に、仙台移転前の、米沢の柳町では、槍や、鉄砲、馬などの戦の道具が見つかった史実があるようです。

 

また、私は、町人の方が、城の防御に対して、メリットが多いと考えられるのです。

商いをしながら、

①不審人物を監視ができる

②他国の行商人や、買い物客から、情報収集をしやすい

③有事の際、町全体が砦となり得る

④有事の際、町人自体が、兵となり第一防御線を張れる

そのようなメリットから、一定の町、町人を、あえて、町人身分に置き、諜報機関としての役目や、有事の際、兵となれるように配置したのだと思えます。

 

また、柳町大日堂の縁起資料には、

柳生山 教楽院 大日如来堂は、京都醍醐の三寶院に属する

【当山派の修験】の 山伏寺であった、

平時は、寺としての活動をしながら、【間諜】としての役割を持っていた。

と、記載されておりますので、

 

全国に修験者を巡らせ、情報収集をしていた事でしょう。

 

その大日如来堂がある土地に、柳町を移転させて、

昼間は、商いをしながらも諜報活動をしながら、一朝事あらば、伊達軍団の立派な兵にもなる町人が住まう町。

その中心部に、

諜報活動の本拠地として、柳生山 教楽院 大日如来堂を置いて、

町全体に、要塞機能、防衛機能を持たせていたのだと思います。

 

宗教施設もあり、全国から、顔も見知らぬ旅人や、旅の僧、旅人が行き来しても、全く不自然ではなく、

町としての機能として、人の往来による、経済活動もできて、

最も重要な、中央や、他所の地位息に関する情報収集もできて、

しかも、一朝事あらば、即座に城下の防衛機能を持った町の作りとなっていたと思えるのです。

 

また、地理的には、仙台城の防衛の要の広瀬川が、

柳町の近くに行くと、場所によって川の流れは穏やかになっており、

若林城に、不測の事態が起きた際には、柳町から兵を、船で下らせて、兵を送ることも可能だと思える町の配置ですよね・・・・

 

 

大日如来 仙台柳町 大日如来は、祭りで、スピリチュアルパワーUP

 

大日如来 仙台で親しまれている、

柳町 大日如来の正式名称は、柳生山 教楽院 大日如来堂 と言い

仙台城下に配置され、十二支の 未・申 歳の守り本尊として、仙台市民に親しまれております。

 

現在は、120個の赤い提灯に囲まれた、風情ある素敵な寺院で、

当時の修験寺としてではなく、現在は、真言宗として活動されております。

 

そんな、大日如来 仙台 柳町は、毎年、7月19・20日にお祭りが開催されます。

ここ近年は、コロナの影響で開催をしておりませんでしたが、2022年は、3年ぶりに開催されましたよ。

 

お祭りは、良いですよね、神や仏のエネルギーも、そこに住む人のエネルギーも高めてくれます!

これは、私個人の意見ではなく、古来からそうなのです。

 

神社や、お寺などは、多くの人が参拝され、心から手を合わせることによって、エネルギーが高まるものなのです。

逆に、人が参拝しなくなった、神社や、お寺は、その力を失っていくのです。

不思議に思うかもしれませんが、そのようなものなのです。

 

鎌倉幕府の、基本法典【御成敗式目】

有名なものですので、皆様も、一度くらいは聞いたことありますよね。

私個人でも、この御成敗式目のお言葉を、とても大切にしておりますので、ここで紹介させていただきます。

 

御成敗式目 第一条

「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」

「神は人の敬により威を増し、人は神の徳により運を添う」

です。

 

人と、神との関係が、法典にしっかり書かれておりますでしょ!

 

大日如来 仙台は、十二支 未申の守り本尊として、仙台近郊の人々から厚い崇敬を受けております。

例大祭や、お祭りを毎年執り行う。

人々が、崇敬し、手を合わせることによって、その神社や、寺院に祀られている、神、仏のエネルギーが増して、パワースポットとなり、地域を守護し、人々の守護となり、伊達政宗公の願い、結界としての力が発揮されるのです。

 

仙台市青葉区、柳町のお大日さん 柳生山 教楽院 大日如来堂人々の崇敬により、

ご神徳も増し、より強靭な、スピリチュアルパワースポットとなって、今なお、仙台城下の守護のエネルギーが、輝いております。

 

そんな、スピリチュアルパワースポットの

大日如来 仙台柳町に、ご興味持たれましたら、ぜひ、一度ご参拝くださいませ。

きっと、内なるもの、外なるもの、なんらかの気づきがありますよ。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

安陽都奈

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